日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため、福井市内の病院で死去した。57歳だった。

 小林氏の因縁のライバルとして巨人で活躍した江川卓氏(54)は17日、仕事先の日本テレビで緊急会見を開いた。深くため息をついた江川氏の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。「(約2年半前に)お会いしたときはすごく元気だったのに、びっくりした。新聞社の方から電話をいただいた時には何かの間違いだと思った」と声を震わせた。

 江川氏は78年ドラフト会議前日の11月21日、「空白の1日」に巨人と突然、入団契約を結んで世間を驚かせた。ドラフトで阪神に指名され、巨人とのトレードが画策された時、江川氏は巨人の選手に影響が及ばないよう、金銭トレードを望んだという。しかし結果は小林氏との交換だった。

 江川氏

 30年以上も前のドラフトの時に、私が巨人に入って、小林さんが巨人を出られるという事件がありました。そのことがつい最近のように思えます。こんな突然亡くなられて、とても残念です。

 「江川問題」から28年がたった07年9月11日に酒造メーカー「黄桜」のテレビCMで共演が実現。初めて小林氏と話すことができた。江川氏は席上「今日は小林さんに謝らなければいけないっていうことを、私決めてきました。長い間本当に大変申し訳ありませんでした」と事件について言及した。その際、小林さんは「謝ることじゃない」と、優しく笑って応じてくれたという。

 江川氏

 CMでお会いするまでは、1度も話す機会がなくて…。お互いに球場で会っても、どこか避けていた感じがありました。おわびして、本当の自分の思いを告白できて、すごくホッとしました。

 小林氏と初めて投げ合ったのは、江川氏が2年目のシーズンを迎えた80年8月16日。この試合で江川氏は完投勝利を挙げた。

 江川氏

 事件の年に小林さんが阪神で22勝を挙げられて、自分はそこを超えなければならないという思いだけで野球をやってきました。投げ合った時は、前日から一生の中で負けちゃいけないゲームがあるとしたら「これだ」と思っていました。

 79年の巨人入団は、江川氏にとって夢がかなった出来事だったが、1人の野球選手の運命を変えてしまった「傷」も深く刻まれた。

 江川氏

 小林さんに対して申し訳ないという気持ちは、僕の中ではまだ終わっていません。原因はこちらにあることですし、一生消えないものだと思います。

 まだ話したかった。あまりにも早すぎる小林さんの死に、江川氏は感極まった。

 [2010年1月18日8時52分

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