日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため、福井市内の病院で死去した。57歳だった。

 日本ハム梨田昌孝監督(56)は、小林氏の突然の訃報(ふほう)にショックを隠し切れなかった。17日夜、大阪から移動後の札幌で「(16日の)商品展示会でキャンプに連れて行く選手など話をしたばかり。本当に信じられないし、今も信じていない」と漏らした。

 この日午前、メールで知らせを受けた。「なぜこんな冗談のメールを送ってくるかなと。そりゃ信じられないよ」。16日に都内で行われた日本ハム本社のイベントで顔を合わせ、元気な姿を見ていた。丸1日とたたないうちの悲報。現実を受け入れることは到底できなかった。

 昨季2軍投手コーチに招き、今季は1軍投手コーチとして、ともに戦うはずだった。97~01年に近鉄でともに過ごした。1軍監督2年目の01年、投手コーチの小林氏とリーグ優勝を経験した。「弱い投手陣だったが支えてもらった。今年も非常に助けてもらえると思っていたのに」と無念そうに口にした。

 19日に福井で通夜、20日に告別式が行われるが、18日から札幌市内で行事が続き参列できない。21日に福井に赴き、最後の別れをする予定でいる。1軍投手コーチは空席となるが「今は先のことは考えたくない。ちゃんとお別れした後でないと」と話すにとどめた。

 「若いころから、いくら食べても太らない人だった。体形も変わらないし、生き方も変わらない人だった」。志半ばで去った、思い出深い1歳年上の先輩の無念さは、何より分かっている。「すごく悔しい思いだろうから。他の人と力を合わせて報いたい」。何よりの供養へ向け、そう誓いを立てた。

 [2010年1月18日8時54分

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