日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため、福井市内の病院で死去した。57歳だった。

 阪神真弓明信監督(56)も盟友小林氏の死を悼んだ。阪神大震災から15年目を迎えた17日、神戸市内で行われた復興イベント「第6回神戸フリーライブ」に参加。「今、ここで聞いたよ…。びっくりした。元気そうだったのに…」。昨年12月初旬に小林氏の日本ハム1軍投手コーチ昇格を祝って電話で話したばかり。だがまさか、その時の会話が最後になるとは、夢にも思わなかった。

 阪神入団は同じ79年だった。真弓監督はトレードでクラウンから移籍。小林氏は巨人からやってきた。安芸キャンプ宿舎は同部屋。年は小林氏が1つ上で気心も知れ、外様組にしか分からない意気投合があった。「僕はパ・リーグからきたし、向こうは複雑な事情のトレードで来た。2人でよう寝坊したわ」。酒が進み、明け方まで野球談議することも度々あった。

 近鉄で00年から2年間、投打のコーチとして再びタッグを結成。梨田監督をサポートした。「(1番の思い出は)優勝した時かな。熱く、いい野球理論を持っていた。一番びっくりしてるのは梨田監督じゃないか」と、もう1人の盟友を思いやった。【松井清員】

 [2010年1月18日8時32分

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