<阪神0-3巨人>◇7日◇甲子園

 巨人の原辰徳監督(51)が、木村拓也(きむら・たくや)内野守備走塁コーチ(享年37)の遺志を継いで、さらにチームを強くすることを誓った。どん底のチームを立て直そうと06年に広島から呼び寄せ、今季からはコーチを任せるなど信頼していた弟分が亡くなった。涙を流しながら「悲しみをバネに、チームを強く前に進めていきたい」と決意を口にした同監督は、阪神戦(甲子園)の練習前、グラウンドに選手を集めて黙とうを終えると「タクヤ~!!」と絶叫した。試合は3-0で勝利した。

 その声は天国まで届いたに違いない。巨人の練習開始時刻の午後4時。原監督は、かつて木村拓コーチがいた二塁の守備位置の付近に選手全員を集めた。円陣を組んで、黙とうをささげた後、腹の底から声を張り上げた。「タクヤ~!」。まだスタンドには観客が入っていなかった。スタンドが騒がしくなる前、悲しみを思い切り吐き出した指揮官は「よし、行くぞ!」。自らにも言い聞かせるように選手たちを鼓舞した。

 午前6時に木村拓コーチの訃報(ふほう)が届いた。兵庫・芦屋市のチーム宿舎で会見した原監督は「何とか奇跡を…と思っていましたが、かなわなかった。この悲しみをバネにさらにチームを強く前に進めていきます」と、声を震わせハンカチで涙をぬぐった。

 木村拓コーチとの出会いは、巨人がどん底にいた06年だった。チームに新たな風を吹き込むため、シーズン中に広島との交換トレードの話を進めた。その時、2軍暮らしで活気を失っていると聞いていた本人に直接電話をかけた。短い会話だったが、やる気と情熱は伝わってきた。間もなく、トレードが成立した。

 チームのためにどんな役回りも引き受けてくれた。本職の二塁だけではなく、捕手が不在になった昨年9月4日にはマスクをかぶった。低迷期に欠けていた「自己犠牲精神」を体現する男に支えられた巨人は07年からリーグ3連覇を果たした。原監督は「巨人が弱い時期に彼が来てくれて、強い巨人になるために貢献してくれた」と感謝した。

 第2の野球人生へ導いたのも原監督だ。若手の成長に押されて出場機会が激減した昨季終盤、内野守備コーチ就任を打診した。現役に未練があった木村拓コーチも「原監督が拾ってくれなければ、僕の野球人生はもっと早く終わっていた。監督に従います」と素直に受け入れ引退した。

 新米コーチに、原監督は輝かしい未来像を思い描き、こんなエールを送っていた。「世界一のノッカーになろう」。19年間の現役の苦労と経験を糧に、一流の指導者への階段を上っていくはずだった。その直後の悲報に、原監督は「こんなに野球が好きで、野球を勉強して。立派な指導者になるだろうと思っていた」と無念の表情を浮かべた。

 さまざまな思いを胸に秘め、原監督は気丈に采配を振るった。3年間先発白星のない西村健が7回まで投げ、クルーン不在のリリーフ陣も奮闘。「やはり特別な日ですよ、今日は。そういう特別な日に、それぞれがしっかりと力を出し切ってくれた」。まさにチーム一丸となって、天国の木村拓コーチに今季初の完封勝利をささげた。【広瀬雷太】

 [2010年4月8日9時57分

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