ロッテのエースとして活躍した成田文男(なりた・ふみお)氏が21日午後6時36分、肝不全のため岐阜市内の病院で死去したことが25日、分かった。64歳だった。自宅は岐阜県山県市高木1525。葬儀・告別式は既に近親者で執り行われた。

 成田氏は65年、ロッテの前身だった東京オリオンズに地元の修徳から入団し、「下町のエース」として台頭。右の本格派で、武器のスライダーには定評があった。68年から20、22、25勝と3年連続で20勝以上。70年には21勝の木樽正明、16勝の小山正明との3本柱でリーグ優勝に貢献した。68、69年には投球300回以上を記録。69年8月16日の阪急戦(ダブルヘッダー第2試合。西宮)では球団史上初のノーヒットノーランを達成している。

 打撃センスを持ち合わせ、69年の3試合連続本塁打など通算15本塁打を放った。投手で満塁本塁打を2本打ったのはガルベス(巨人)と史上2人だけの記録。71年5月30日東映戦では満塁弾と2ランを打ち、3打数3安打、6打点だった。

 79年の自主トレ中に転倒して右肩を強打し、1軍登板なし。80年に大沢啓二監督の日本ハムへ移籍したが3年間で6勝と成績を残せず、82年に引退した。

 引退後は埼玉県内で運動具店を始めた後、建設会社の広報課長に就任。その後、好きなゴルフにのめり込み、90年代は羽田空港近くのゴルフ練習場でアシスタントプロになった。当時はプロ野球同期入団の尾崎将司(現プロゴルファー)にあこがれ、シニアプロとして活躍する夢を語った時期もあったが、最近10年ほどは山県市で喫茶店を経営していた。