元セ・リーグ審判員の平光清(ひらこう・きよし)氏が肺がんのため9日午後に都内の病院で死去していたことが16日、分かった。73歳だった。通夜・告別式は故人の希望により、既に近親者のみで執り行われた。岐阜出身の平光氏は、アマチュアの審判を経て65年にセ・リーグ入り。日本シリーズに5度、オールスターに7度、通算3061試合に出場。90~92年には審判副部長を務めた。

 球審を務めた74年7月9日の巨人-大洋11回戦(川崎)で「神様」と呼ばれていた巨人川上哲治監督を退場させた。河埜のファウル判定に激高した川上監督に突き飛ばされたためで、川上監督の退場は現役時代を通じて唯一だった。

 二塁塁審を務めた92年9月11日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)は史上最長6時間26分に及んだ。同点の9回裏2死一塁、阪神八木の飛球は左翼フェンス上部のラバーを直撃。跳ねた打球がフェンスを越えた。平光塁審は当初「本塁打」と判定したが、協議の上で即座に誤審を認めた。サヨナラ弾が二塁打に変わった阪神は猛抗議。37分中断した。この判定が引退のきっかけとなり「こういう打球がくるということは潮時なんだなあ」と周囲に漏らしていたという。

 現役時代から能弁で知られ、引退後は野球評論家などで活躍。「審判失格」と題した著書も出版した。90年にプロ野球の審判は6人から4人制に変更されたが、制度変更の教育期間の短さには疑問を呈していた。

 ◆平光清(ひらこう・きよし)1938年(昭13)7月15日、岐阜県生まれ。慶大時代は野球部のマネジャーを務めた。東京6大学、日本高野連、日本野球連盟の審判を経て65年セ・リーグ審判部入り。92年に引退。引退後は日本ポニーベースボール協会コミッショナー、日本野球連盟参与などを務めた。