<日本シリーズ:ソフトバンク3-0中日>◇第7戦◇20日◇福岡ヤフードーム

 最後までオレ流野球を貫き、中日落合博満監督(57)が散った。すべて2得点以下で3勝したシリーズ最終戦。4安打で無得点に抑えられ、力尽きた。完全制覇はならなかったが、ビハインドでも浅尾、岩瀬をつぎ込む「守りの野球」で最後までソフトバンクと互角に渡り合った。試合後、選手に最後の訓示を行った孤高の指揮官は涙を見せ、ナインの号泣に包まれて、8年間身にまとった中日のユニホームに別れを告げた。

 最後の花道をひた走ってきた落合竜が力尽きた。先発山井を3回途中で代えた。2点ビハインドの7回には浅尾を、8回には岩瀬をつぎ込んだ。最後まで「守りの野球」を貫いて散った。完全日本一の夢は目前で消えた。それでも、落合監督の表情は晴れ晴れとしていた。

 「負けたのは残念だけど悔いはない。あいつらがここまで連れてきてくれた。大したもんだと思う。オレらはいなくなるけど、今までやってきたことを継続してくれればいい。自分を大事にして野球人生を送ってくれれば、それでいい」

 9月22日。あの電撃退任発表から、選手たちは指揮官の想像をはるか超えていった。10ゲーム差を逆転して連覇。CSではヤクルトの執念をねじ伏せた。たくましい選手たちを見守る指揮官の表情は幸せそうだった。それだけで十分だった。

 敗戦後、ロッカー室に選手、スタッフ全員が輪になった。みんなの顔を見渡して落合監督が口を開いた。

 「8年間、ありがとうな。今、この場に立っているのはみんなのおかげだ。9月で終わっていたかもしれないんだから。この場に立っていることに感謝している。ただ、ここからも下手な野球はやるなよな。でなきゃ、今までやってきた意味がないだろ」

 退任発表以後、沈黙していた指揮官が初めて選手たちに別れを告げた。その目には涙があふれていた。みんなが号泣した。おえつが部屋中に響き渡った。

 仕事にも、人生にも、終わりがある。就任8年目の今年、落合監督はあらゆることに覚悟を決めていた。ふと、こう言い出したことがあった。

 「明日、死ぬと言われたら、何を食べる?

 オレは秋田の米を食べる。東京で食べるんじゃあ意味がない。その土地の水で炊いたのが一番うまいんだ。明日死ぬと言われても別に騒ぐことないじゃないか。事故でも病気でも、何で死ぬにしてもそれが寿命なんだ」

 覚悟は行動にも表れた。まだ退任が発表される前の9月9日横浜戦、信子夫人が普段は持ち出さない「お守り」をナゴヤドームに持ってきた。向かった先はバックスクリーン横の5階席最上段。球場で最も高い場所だった。グラウンドすべてが見渡せた。試合中、信子夫人はそこから旗を振った。ベンチの落合監督は帽子を振って応えた。退任を覚悟した2人のケジメ。腹はとうにくくっていた。

 退任発表後、世間の見方が変わった。劇的な有終日本一を後押しする声、声…。これまで多くの批判にさらされてきた落合監督はそんな状況に苦笑いした。

 「不思議なもんだな。オレは何も変わっちゃいないのに、今度はほめられるのかよ。ハハハッ」

 誤解されるくらいなら無言を選ぶ。己を偽るくらいなら孤独を選ぶ。その姿勢がいつも議論を巻き起こした。それでも、孤高の歩みは最後までぶれなかった。

 去り際の美学がある。

 「猫って、だれにも見られない場所に行って最期を迎えるだろ。オレも、そういうのがいいよな」

 現役を退く時も引退試合は断った。涙の別れなんて柄じゃない。去り際はひっそりと-。その願いはかなえられなかった。敵地にもかかわらず、スタンドからは万雷の拍手と「落合コール」が降り注いだ。荒木も森野も、おえつが止まらなかった。谷繁が、和田が、目を真っ赤にしていた。激闘の8年間、孤高の指揮官はこれほどまでに熱いものを男たちの心に残していた。独り歩き去るはずだった1本道。最後は無数の涙で彩られた。【鈴木忠平】