日本ハムが異色の人材を抜てきする。東海大時代に巨人原辰徳監督(55)と同期生で、三遊間を組んでいた経歴を持つ原田(旧姓・西本)豊氏(54)がアマチュアスカウトに就任することが21日、分かった。プロ出身ではないが社会人で選手、監督として都市対抗出場など活躍。今年4月まで母校の柳井高(山口)の監督を務めるなどアマ球界に精通した原田氏を登用し、金の卵の発掘を狙う。

 また画期的リクルートで、球団強化へ動いた。大渕スカウトディレクターらプロ経験がない元高校教諭2人がいるスカウト陣に、注目の新顔が加わる。九州地区担当の新任として、原田氏を抜てき。東海大では遊撃手として原監督とコンビを組み、名手で鳴らした。原田氏は「プロへ行きたかった」がかなわず、卒業後は故郷・山口へUターンした。「大学時代に辰徳を見てこういう選手がプロに行くんだ、と思った」。志半ばで社会人・協和発酵(02年廃部)へ進み、原監督と道は分かれていた。

 81年入社で、同年に「炎ストッパー」の愛称で活躍した広島津田恒実氏(享年32)と2人で、他チームの補強選手として都市対抗に出場。監督2年目に都市対抗出場に導くなど5年間、指導した。会社員を経て、今年4月まで約1年間、柳井高監督を務めた。球団側はアマのエリート街道を歩んできた経験を生かした眼力などを評価してオファー。この日までに内定した。

 来年1月に正式に就任する。原監督とまた同じ世界で戦うことになった。原田氏は「辰徳とは立場は違いますが、土俵が一緒になるのでワクワクしています」と胸を躍らせた。既に報告を受けたという原監督も「現役時代から頭の良い選手だった。いい選手を発掘できる能力を持っているし、彼ならやれる。頑張ってほしい」とエールを送った。日本ハムの定評あるスカウティング強化に、原田氏が一役買う。

 ◆原田豊(はらだ・ゆたか)旧姓・西本。1958年(昭33)12月18日、山口・徳山市(現周南市)出身。柳井高3年時に主将を務め、夏は山口県大会決勝で惜敗。東海大では右投げ右打ちの俊足巧打の遊撃手として活躍。原辰徳監督の父貢氏の指導を受けた。協和発酵入社1年目の81年に日本鋼管の補強選手として都市対抗に出場。89年秋に監督に就任し、91年に都市対抗出場に導くなど5年間指導した。その後会社員から脱サラし、12年4月に柳井高の野球部監督に就任して今年4月に退任。