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野茂英雄のメッセージ

MLB

―日本で野茂ブームになっていた時、自分の中では冷静に見ていたのか

「わかってはいました。ただ、最初にドジャースに来た時には、なかなか日本人コミュニティーに入っていけなかった。実際、野球にも集中したかった。コミュニティーの人たちにしてみれば、何かのイベントにも参加してほしかっただろうし、日本人はアメリカではマイノリティーなので、コミュニティーのために何かやってほしいとよく言われましたけれど、自分では野球やっているだけで精一杯でした。みんなアメリカの社会の中で、日本人のプライド持って生きているので、力貸してください、っていうのはよくわかるのですが、当時は、それが自分の中ではできないから、あえていかなかったですね」。

―メジャーに行って、日本と何が一番違ったか

「最初、一番驚いたのは、高めに浮いたボールは必ずホームランになるということだった。実際、甘い球行けば長打を食らうのは当然なんですけど、それがフェンスを越えていく。日本じゃ絶対ありえない。日本だったら、少々甘く入ってもツーベースくらいだった。僕の場合、日本では、あえて高めに投げて抑えていたところもあったので、(ホームランになるのは)すごいなあと思った。メジャーのレベルも、あの時よりも今の方が全然レベルが高いと思いますよ。投げているボールもピッチャーとしては、結構難しいボール投げていますけど、野手もそれに対応してきますし。(投手も打撃も)両方レベルが上がっていると思いますよ」。

―投手では驚いた人いますか

「マダックスですかね。それとセイバーへーゲン(注1)とかね。実際打席に立って見てみると、あんなきれいなボール投げるのか、と思いましたね。びっくりしましたね」。

―メジャーの14年間はどういう時間だったですか

「最後の4年間くらいは実質投げてないんでね。10年くらいしかやっていないですから、やっぱり、短かったですね」。

―リハビリ中は苦しかったのか

「そうですね。ストレスがたまった時期です。(ひじが)良くなっても、痛くなるし、ブルペンにも行けないし、マウンドにも当然いけない。そのころはつらいというか、ストレスがたまりました。投げなきゃわからないんで。(原因は)なんでこうなったか、わからないですね…。今は全然痛くないですからね(笑い)」。

―野球生活で球が一番速かった時はいつですか

「いつでしょう。自分ではわからないですね」。

―では、ピッチャーとしてのピークはいつか

「そうですね。2回目のドジャースへ行ってからですかね(注2)。それまでは、特に若いころは、自分が結果を出すことがチームにとっていいことだ、と思ってやっていた。2回目ドジャースに行った時は、それまでにミルウォーキーに行ったり、デトロイトに行ったり、ボストンに行ったりしていたので、チームで戦うという思いを強くした。その中の1人として僕が居て、なおかつそこで結果を出すっていう野球をやった時の方が、達成感ていうか、充実度が、もうぜーんぜん違う。それに気づいた。若いときにタイトル取ったりした時は、確かにメディアから見れば活躍度はあるでしょうし、投げているボールも良く見えるでしょう。だけど、自分がプレーヤーとしてやっている時の充実度を入れるとピークはそこだと思う。投手というより、野球選手としてベストだったと思う。投げた試合勝つというのは、変わらないですけれど、チームの中に入って、周りの選手のこともわかって、試合がどう流れているのかもわかって、自分がチームの中でどうしなければいけない、というのもわかって、仕事量も増えているけれど、それで結果も出すっていうこと、結果が出たっていうことの充実感は全然違う」。

―小学校、中学校、高校、社会人、プロ、メジャーといろいろな野球を経験したわけだけれど

「僕が今、高校を卒業するのだったら、(世の中の状況からすると)行くところがなくて、高校で野球生活を終わらなければいけない。高校野球だけで終わってしまうはずの選手が、ここまでいい経験をすることができたのですから、本当にラッキーだった」。

―「野茂英雄」が高校で終わっていたのか

「もっと『失敗できる場所』や『チャンスを生かせる場所』『自分の能力を伸ばせるところ』を作りたい。そうすれば、僕のような選手が生まれてくる可能性はあるということだと思います。成功し続けているだけだけの選手ばかりではないですからね」。

―日本のプロ野球から、メジャーリーグへ行くという決断をしたこと。あらためてどう思いますか

「メジャーへ行ったことは自分自身が、人間としてもう1歩成長するのに、いい行動をしたと思います。ほかの人や社会にとってどうか、ということではなく、あくまでも、自分にとってですけれどね」。

(注1)「90年代最高の投手」ブレーブスのグレグ・マダックス。針の穴を通すようなコントロール。08年オフにやはり引退した。ブレット・セイバーへーゲンはサイ・ヤング賞2回、WシリーズMVP。肩の手術から2度復活。01年に引退。

(注2) 02~04年。02、03年と連続16勝。02年は34試合に投げ16勝6敗。勝率7割2分7厘は日本時代も通して自己最高。

NOMO×NIKKAN

 野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。88年ソウル五輪に出場し銀メダル。89年、8球団の競合の末、ドラフト1位で仰木監督の近鉄に入団。体を大きくひねる独特の「トルネード投法」と、鋭いフォークボールによる奪三振などでいきなり18勝を挙げ、スター選手に。90-93年まで史上唯一の4年連続最多勝をマーク。

 95年にドジャースに入団し、13勝6敗でナ・リーグ新人王。球宴にも出場し先発を務めた。ド軍2年目の96年(対ロッキーズ)、レッドソックス時代の01年(対オリオールズ)にノーヒットノーランを達成(両リーグでの達成は史上4人目)。

 06、07年はメジャーでのプレーはなかったが、08年にロイヤルズで復帰。しかし白星を挙げることなく4月末に自由契約。同年7月、現役引退を発表した。

 日米通算201勝155敗1セーブ、3122奪三振。現役時代のサイズは188センチ、104キロ、右投げ右打ち。03年にNPO法人「NOMOベースボールクラブ」を設立。家族は夫人と2男。

野茂氏のオフィシャルサイトがオープン。

NOMOベースボールクラブ








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