―五輪の野球について聞きます。88年のソウル大会で銀メダルを取っていますが、そのときの日本代表はどんなチームでしたか

- 88年9月26日、ソウル五輪準決勝 3番手として登板した野茂(右)は捕手の古田と握手をかわす
「エースが石井丈裕さん(のちに西武)で、ほとんど石井さんが投げていたんじゃないかなあ。中島輝士さん(のち日本ハム)が全日本の4番、看板だったので。どこに行っても中島輝士だった。存在感ありましたしね。僕は初のオールジャパンだったので、最初、中島さんのバッティング見たときはびっくりしました。こんなちがうのかと。『こら、自分ところのチーム(新日鉄堺)の人がプロに行かれないのもわかるなあ』と思った。全然ちゃうなあと」。
―そのころは金属バットですよね
「はい。すごかったですね」。
―予選リーグでは台湾戦で投げている。延長13回4―3でサヨナラ勝ち。どういう試合でした
「僕が投げて3ラン打たれているんです。何回で代わったかな。(資料を見て)6回3分の2で代わったのか。そこまでは抑えて…。五輪の前にイタリアで世界選手権があって(日本4位)そこで各国を一通り見ていて、台湾はどんなチームだとか、どんな投手がいるとかわかってはいたのですが。必死に投げて、打たれた…ことしか覚えていない」。
―そのあとは、準決勝の韓国戦。リリーフでいい投球をして3―1で勝っている
「1イニングしか投げていないでしょ。(資料をみて)2回3分の2、そんなに投げているか…僕、あんまり試合内容覚えていないんですよ。(五輪が)楽しかったのは覚えているんですよ。焼き肉腹いっぱい食べたとか。選手村のご飯がすごい良くて。当時給料も安かったですからね。選手村の中、ジュース飲み放題だったこととかね。ミーハーして、ほかの競技の選手と写真撮ったりとかね。試合は、僕が活躍したように言われますけれどそんなに活躍していないですよ。僕より、大事なところは石井丈さんが投げていました。活躍したら覚えているはずなんで」。
―五輪の野球は、84年ロサンゼルス大会から公開競技で始まって日本は金メダル。連覇がかかるといわれたことのプレッシャーはなかったか
「(きっぱり)まったくなかったです」。
―決勝は米国戦で、相手投手はアボットだった
「決勝はティノ(マルチネス)に2本打たれた」(石井丈、潮崎が被弾)。
―米国チーム(注1)の選手見ていて、どう感じていたか
「ああ、こういう選手たちがメジャー行くのかと。全員ドラフト1位候補と言われていましたから。実際、ベンチュラも、マルチネスも、グッドウィンも行きましたからね。ピッチャーにアボットもいたし。アボットとはミルウオーキーで一緒でした。僕は五輪のこと覚えていましたが、向こうはどうですかね」。
―当時、日本代表に行くというのはどうことだったか
「社会人に入った時の目標はオリンピックに行くことでした。オリンピック前の世界選手権代表に選ばれた時は、もううれしかったですね。初めての国際大会。初めて飛行機にも乗りましたし(笑い)」。
―五輪の野球は、96年のバルセロナ大会から正式種目になり、2000年のシドニー大会から、代表にプロが入るようになった
「いろいろあるんじゃないでしょうか。強化費の問題もあるし」。
―アマチュアの選手たちの目標から五輪が遠くなったことについてはどうですか
「うーん(と考えて)僕が、ミスチル( Mr. チルドレン)が好きだから、こういうことをいうわけではないのですが(笑い)。去年、オリンピックをテレビでよく見ていた。民放をつけていると金だ、負けた、メダル取った、また負けたというのがメーンでなっている中で、たまたまNHKを見ていたら、ミスチルの『GIFT』って曲が流れる。『一番きれいな色ってなんだろう? 一番光ってるものってなんだろう?』って。なんか、そう言われたら『ホンマは勝ち負けなんてどうでもいいんだけどなあ』って思った。もともと、五輪のマーク、五色の輪が重なり合っている。出来た意味はわからないですけど、いろんな人種、いろんなカラーの人がいて、それが一緒になって、スポーツで戦うのがオリンピック。その中でその選手の良さが出たり、その国の良さが出たりする。そういうことが大事なんじゃないですか。だから、本当なら、僕は五輪はプロが出なくてもいいんじゃないかなあと思ったですね。野球の種目が五輪に復活しても、アマチュアでいいです。WBCも、イチローはすごい選手でイチローにも活躍してもらいたいですけれど、できれば次の世代のスターが生まれてほしいと僕自身は思います。次のスター選手を作るにはいろいろな経験をしてもらった方がいいですし、アマチュアから次のスター選手も生まれてきてほしいし、WBCも若い選手がリーダーとなってやっていってくれればいいと思います」。
【注1】ソウル五輪の米国代表チームはドラフト1位候補がズラリいた。打者はのちにメッツ、ヤンキースでも活躍した三塁手のロビン・ベンチュラ(ホワイトソックス1位指名)のちにヤンキースの4番も打ったティノ・マルチネス(マリナーズ1位)ら。投手ではのちに新人王、ノーヒット・ノーランも達成した隻腕のジム・アボット(エンゼルス1位)らがいた。
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- 29. フォークボール2
野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。88年ソウル五輪に出場し銀メダル。89年、8球団の競合の末、ドラフト1位で仰木監督の近鉄に入団。体を大きくひねる独特の「トルネード投法」と、鋭いフォークボールによる奪三振などでいきなり18勝を挙げ、スター選手に。90-93年まで史上唯一の4年連続最多勝をマーク。
95年にドジャースに入団し、13勝6敗でナ・リーグ新人王。球宴にも出場し先発を務めた。ド軍2年目の96年(対ロッキーズ)、レッドソックス時代の01年(対オリオールズ)にノーヒットノーランを達成(両リーグでの達成は史上4人目)。
06、07年はメジャーでのプレーはなかったが、08年にロイヤルズで復帰。しかし白星を挙げることなく4月末に自由契約。同年7月、現役引退を発表した。
日米通算201勝155敗1セーブ、3122奪三振。現役時代のサイズは188センチ、104キロ、右投げ右打ち。03年にNPO法人「NOMOベースボールクラブ」を設立。家族は夫人と2男。
野茂氏のオフィシャルサイトがオープン。
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