野茂英雄(40)を見ていると、どうしてこれほど野球が好きなのだろうと思うことがある。野球に出合ったころの話を聞いてみようと思った。野茂も当時の少年たちと同じようにして、普通に野球と出会い、その魅力にのめり込んでいった。野球というチーム競技のおもしろさ、難しさを知った。その過程で野茂は何を考え、成長していったのだろう―。(敬称略)(聞き手・南沢哲也)
登板したら胸を張れ!
―子供のころ、野球に出会ったきっかけを覚えていますか
「ある時、おやじがグラブを買ってきてくれたんですね。当時、団地に住んでいて、集合団地なんですけれど、子供の数も多かったのですが、団地3つくらいで1チームくらいできていたんですね。町内のソフトボール大会にでたのが最初ですかね。」
―小学校何年の時ですか
「小学校2年くらいですかね。」
―なんでグラブを買って来てくれたのでしょう
「ちょうど小学校2年ころから、クラスで野球が流行り始めていたころなんですよ。(買ってきてくれたのは)だからじゃないですかね。よく覚えていませんが、うれしかったと思いますね。」
―最初、ソフトボールやったときは、どこを守ったか覚えていますか
「めっちゃ下手だったですからね。最初は自分がどこの能力とかあるのか、わからないわけだから。周りの(指導の)大人の人に、いろいろ教わって、外野手あたり守っていたんじゃないですかね。」
―どんな子供だったですか
「いや、おとなしい…。今とは逆ですかね(笑い)」
―おとなしいというのは、あまりしゃべらなかったということ
「はい。」
自分のことを「おとなしい子供だった」と話す野茂だが、当時から肩の強さは、誰にも負けないほどだった。父親ともよくキャッチボールをしたが、周囲の大人たちがみても、目立っていたという。体も大きく、並ぶのは一番後ろの方だった。
―投手をやるようになったきっかけは覚えていますか
「小学校5年生の終わりぐらいに軟式のチームに入り、そこでピッチャーをやり始めたけれど、投げる球はほとんどボールでした。肩だけはいい子供で、ソフトボール始めたころから、周りの大人が「ええ肩してんなあ」って(話していた)。大人とキャッチボールするのも余裕でした。子供のころノックを受けるのでも、強い打球を打ってほしかったですし、バッティングセンターに行っても、一番速い球を打ちたかったですし、実際には打てなくてもね。そういう子供でした。」
―毎日野球をやっていた
「はい。学校から帰ってきたらランドセルを置いて、すぐに遊びにいっていました。毎日野球でしたね。周りの公園とかで、テニスボールみたいなボールで三角ベースみたいのもやっていましたね。」
―投手をやりはじめたきっかけは。だいたい、僕やりたい、と手を挙げるタイプと、周りからお前、球速いからやれよ、というように推されるパターンがあるけれど
「後者ですね。お前、球速いから、やれよ、というように言われました。ちょうど、中学の野球部に入って1年生の終わりぐらいに、監督がおもしろがったのか、1年生と2年生で試合やってみようということになって。1年生は小学校の時の少年野球でやっていたメンバーだったので、そこでピッチャーやって、勝ちそうになって。最終的には負けたけれど、それからですよ。本当にピッチャーやるようになったのは。それまでは外野手が多かったですね。中学校のクラブ活動でしたから、試合にでるのは3年生じゃないですか。1年、2年は球拾いみたいなところもあって、でもその試合で、1年生が結局何人かベンチ入りするようになった。それで1つ上の先輩のチームの試合でも投げるようになったんです。」
―マウンドに登るというのは、どんな気持ちだった
「恥ずかしかったです。」
―なぜ
「こころのどこかではピッチャーをやりたいという気持ちがあるけれど、いざマウンドに上がるときには、恥ずかしかったです。それぐらいに消極的な子でした。」
―ピッチャーの魅力というのは
「僕の場合はピッチャーしかできなかったですからね(笑い)。たぶん野手をやっていたら、できなかったですから。」
―ピッチャーが先頭にたって戦うというイメージはありますか
「ピッチャーが注目されているというのは、自分で野球みていてわかるじゃないですか。当時からプロ野球をテレビでやっていましたけれど。ピッチャーが一番注目されていましたし、高校野球みていてもそうでしたし、一番注目されているというのはわかっていました。漫画でも主役はピッチャーですからね。」
―球だけは速かった?
「普通の人よりは、たぶん。でも、ほかの学校には、僕より速い子がいたと思うんですけどね。」
メジャーリーグにいたころ、米国で子どもたちに野球教室をしたことがある。そのとき野茂は少年に「マウンドに登ったら胸を張っていなさい。相手チームに向かう最初の選手がピッチャーだから」と教えている。
「そういう考えを持つようになったのは、それはもう社会人になってからですからね。『周囲からみたピッチャー』という考えをもち始めたのは社会人になってからですからね。それまではピッチャーは『ピッチャーとしての見た視野』でしか知らなかったですから」と野茂は言う。
おとなしくて、消極的だった子がどこで変わったのか―そう聞くと、野茂は「やはり社会人の時代でしょうね」と答えた。
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野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。88年ソウル五輪に出場し銀メダル。89年、8球団の競合の末、ドラフト1位で仰木監督の近鉄に入団。体を大きくひねる独特の「トルネード投法」と、鋭いフォークボールによる奪三振などでいきなり18勝を挙げ、スター選手に。90-93年まで史上唯一の4年連続最多勝をマーク。
95年にドジャースに入団し、13勝6敗でナ・リーグ新人王。球宴にも出場し先発を務めた。ド軍2年目の96年(対ロッキーズ)、レッドソックス時代の01年(対オリオールズ)にノーヒットノーランを達成(両リーグでの達成は史上4人目)。
06、07年はメジャーでのプレーはなかったが、08年にロイヤルズで復帰。しかし白星を挙げることなく4月末に自由契約。同年7月、現役引退を発表した。
日米通算201勝155敗1セーブ、3122奪三振。現役時代のサイズは188センチ、104キロ、右投げ右打ち。03年にNPO法人「NOMOベースボールクラブ」を設立。家族は夫人と2男。
野茂氏のオフィシャルサイトがオープン。
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