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野茂英雄のメッセージ

個人タイトルなんて何にもならない 優勝した時の話できた方がいい

大一番でも重圧はなし

―ドジャースで優勝がかかった試合に登板した(注1)。マウンドに登って行くときはどんな気持ちなのか

「普通ですよ。普通。」

―チームみんなを背負っていくという重圧はないのか

「一緒です。バッターを抑えていくということは、どの試合も一緒ですからね。調子よかったり調子悪かったりというのは、その試合によってありますけれどね。たまたま調子もよかった。リズム良く、投げられましたし、最初に点は取られましたけれど、流れではこっちの流れだったですからね。」

―ああいう試合までに、チームの中で「お前には任せたぞ」というポジションになっていることが必要ですよね。

「ほかのローテーションピッチャーもなっていたと思います。みんな柱として確立していましたからね。」

―日本とアメリカの野球、チームとしての違いはありますか

「僕の場合、チームリーダーになることはなかったので、なんともいえません。」

―投手陣のリーダーになっていた時もあったじゃないですか

「いいえ。話せないのが一番大きいです。行動では示せても、話せないですからね。通訳通しても限界があります。」

―野球の魅力で日米の違いはありますか

「うーん(と考えて)最近、球場行ってみたりして思うのは、やっぱり晴れの日は、青空の下で野球見てもらいたいなあっていう。こんないい天気なのにドームかあっていうね。一番違いますかね。この間、北海道に行って、きょうはいい天気だなあ、って思ったら、やっぱりドームですからね。うーん、そこが残念ていうか、そう思いますね。」

「優勝のためならタイトルなんか全然いらない」「タイトルなんか入りますか? 結局、自己満足です」と言い切ったのには驚いた。どちらかというと、そういうタイプだとは思っていたけれど。

 野茂の渇望は、高校野球、社会人、近鉄、メジャーでも優勝経験がほとんどなかったことにも由来する。そう思うと、本当に近鉄で勝ちたかったのだろうし、ワールドシリーズにも出たかったのだろうと思う。

 おとなしい野茂少年が「恥ずかしい」と思いながら、一番目立つ小高いマウンドに登るピッチャーを選ばざる負えなかったことも面白いし、最後までマウンドを降りたくないと執着しながら一番チームが勝つことを願っている、というのも面白い。野茂の考え方、生き方への興味は尽きない。

(注1)95年9月30日(日本時間10月1日)、ドジャース1年目の野茂は、サンディエゴのジャック・マーフィースタジアムでのパドレス戦に、ナ・リーグ西地区の優勝をかけて先発。8回まで毎回の11三振を奪う力投でドジャース7年ぶり8度目地区優勝の主役になった。1回には1点を失うが、ドジャースは2回表にすぐに追いつく。野茂が7回までスコアボードに「0」を並べ、ドジャースは7、8、9回に2点ずつ取って、7―2で勝った。シーズンわずか1試合を残しての優勝決定だった。

いいサイクルに

 野茂は「今の子どもたちの野球の好きな度合いは昔とあまりかわっていないと思います」という。さらに、きちんとしたチームに入った子のレベルは相当高いという。

 野茂クラブでは毎年12月に、リトルリーグやヤング、ボーイズリーグのチームを集めての野球教室と交流戦の「NOMOカップ」という大会を主催している。

 野茂「うまいですよ。NOMOカップに集まって来るような子は、かなりレベル高いですよ。センスがいい子が多いです。昔だと、センスのいい子はピッチャーやっていたでしょう。今の子は野手でもいいですからね。昔はピッチャーで4番だったでしょう。今はそうと限らないですからね。」

 1日は野球教室をやる。「そういう子に声をかけてあげたら、相当な励みになるでしょう」と言うと、野茂は「励みになってもらいたいですし、そういう子が将来、プロ野球選手になった時に、また子どもたちに、その時の喜びを返してほしいんです。それがサイクルになってほしい。いいサイクルにね」と話した。

 今年、かつて野茂クラブに所属し、東邦ガスを経て横浜にドラフト2位で入った新人の藤江投手(23)も、そうしたサイクルの担い手だ。

写真:藤江均

 野茂「彼はもう、サイクルのひとつになってくれていますね。NOMOカップにも来てくれましたからね。野茂クラブの在り方みたいなことも、理解してくれていると思いますし、もう十分ですね。野茂クラブで学べなかったこと、僕が社会人時代に学んだことを、彼は東邦ガスで学んでいると思うんですね。だからよかったんじゃないでしょうか。社会人に行ってだいぶ変わったんじゃないですかね。プロに入る前に会いましたけれど、だいぶ大人になったなあ、って感じでしたからね。考え方も全然変わったと思いますよ。」

 1人の模範ができれば、また後に続く人間が出る。それは好循環のサイクルになる。野茂が今考えていることは、このサイクルをいかに強く大きく、広げていくかなのだと思う。目指すものの具体例が見えた。

◆藤江均(ふじえ・ひとし) 1986年(昭61)1月27日、大阪府生まれ。上宮太子高では控え投手で甲子園出場なし。卒業後、野球を続けるためパチンコ店で働きながらNOMOベースボールクラブ入団。野茂と同じ背番号11をつけ、エースとして05年に都市対抗初出場、全日本クラブ野球選手権初出場初優勝の原動力となる。07年東邦ガス移籍。08年都市対抗で優秀選手賞。08年ドラフト2位で横浜入り。177センチ、73キロ。右投げ右打ち。独身。今季推定年俸1200万円。

NOMO×NIKKAN

 野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。88年ソウル五輪に出場し銀メダル。89年、8球団の競合の末、ドラフト1位で仰木監督の近鉄に入団。体を大きくひねる独特の「トルネード投法」と、鋭いフォークボールによる奪三振などでいきなり18勝を挙げ、スター選手に。90-93年まで史上唯一の4年連続最多勝をマーク。

 95年にドジャースに入団し、13勝6敗でナ・リーグ新人王。球宴にも出場し先発を務めた。ド軍2年目の96年(対ロッキーズ)、レッドソックス時代の01年(対オリオールズ)にノーヒットノーランを達成(両リーグでの達成は史上4人目)。

 06、07年はメジャーでのプレーはなかったが、08年にロイヤルズで復帰。しかし白星を挙げることなく4月末に自由契約。同年7月、現役引退を発表した。

 日米通算201勝155敗1セーブ、3122奪三振。現役時代のサイズは188センチ、104キロ、右投げ右打ち。03年にNPO法人「NOMOベースボールクラブ」を設立。家族は夫人と2男。

野茂氏のオフィシャルサイトがオープン。

NOMOベースボールクラブ



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