
ギプスがとれたら、また走る毎日が待っていた。秋からは2年生の先輩投手が主戦、ダブルヘッダーの練習試合なら1試合目は先輩が投げて、2試合目は野茂が投げていた。
その時は、どんなピッチャーだったのだろう。
「まっすぐとカーブしかありませんでした」。
野茂は高校3年間ずっとストレートとカーブで通した。
もうそのころにはトルネードの型にはなっていたのか、と聞くと「そうですね。全身使って投げていた。(球は速かったのか)たぶん」と答えた。
2年生になると、投手と外野手の両方を兼ねるようになる。
「投げないときはライトで試合に出ていた。先輩が4人しかいなかったので、1年の同級生はレギュラーが多くて、5人は固定されていたんですよ。外野2人、サードもショートもセカンドもずっとレギュラーで」。野茂の世代がチームの重要な役割を占めるようになっていた。
野茂にとって初めての夏の予選がやってきた。初登板はリリーフだった。
「初戦に7回くらいからかなあ。結構勝っていて、先輩ピッチャーは全然打たれなかったんですよ。僕を経験させてくれるために、投げさせてくれたのだけれど、緊張のあまり全然ダメで、交代になりました」。四球死球もからんで押し出しもした。
さんざんな初登板。だが、次の試合で先発した野茂は、大物の片りんを見せる。104球、10奪三振。ヒットはおろか、四死球も0。完全試合だった。初戦からの見事なカムバックは、人をひきつける野茂らしいピッチングが、このころからあったというべきか。
「うれしかったのと、舞い上がって、終わってから何がなんだかわからなくなっていました」と笑った。
―どんなに弱いチームと試合したとしてもなかなか完全試合はできない
「いや、実際はあるのだと思いますよ。ただ、PL学園のような私立の強豪の高校だと、コールド勝ちで、試合途中で参考記録になってしまう。うちは(コールド勝ち)しなかったから、参考記録にならなかっただけです」。
野手だってゴロやフライをエラーなしで処理しなければいけない
「だから今でも同級生が集まった時に話になりますが、それまではエラーがつきもののチームだったので、1試合に何個かエラーはあったんですけれど、その時はエラーがなかった。そのことをよく言いますよね。内野ゴロたくさんあったけれど、『エラーしなかった』っていう不思議を」。
―完全試合はどこから気づいていた
「どこからですかね。最後は気づいていました」。
当時の朝日新聞に完全試合の様子が出ていた。記事のコピーを見ながら、野茂は「こんなには、はっきりしゃべれていないです(笑い)。緊張していました、くらいしか言っていないと思います。ただ、前の試合で全然だめだったのが、この試合で息を吹き返したというか、チームメートの信頼がまた戻った。チームメートは、練習試合で僕が抑えるいいところも知っているわけじゃないですか、それが本番で出なくって、もしかして野茂はあかんのかって、思いかけたのが、これで回復したということはあったかもしれませんね」。チームメートの信頼を取り戻したことの方が快記録よりもうれしかったのだ。
高校球児にとって甲子園というのは、特別な存在だ。もうひとつ、夏の大会には、負ければ3年生が最後になるという意味も持つ。これを最後に野球生活を終わりにする人もいる。
「そりゃ、甲子園行きたいことは行きたいですよ。でも甲子園狙えるようなチームじゃなかったですし、中学校のころからPL学園とかが甲子園で勝つのをみて、全然レベルも違うと思っていましたし、ほかの私立の高校に相手にもされなかったですし。同じ3回戦ぐらいで消えてしまいそうな高校と練習試合していたので、まあ甲子園は行きたかったですけれど、ある意味その辺はちょっとさめていたというか。強いチームはそうは思わないでしょうが、僕らのチームは、(負ければ)先輩にとっては最後の試合になるかもしれないって思いながら試合をしていました」。
―夏は、次の試合で負けた
「先輩ピッチャーが先発して、リードされて追いかける形になって。僕がホームラン打ったんですよ。1点差くらいまでいって、僕が二塁ランナーで、バッターがセンター前ヒット打って、でも僕がホームでアウトになった。それで負け。セーフならば同点になっていた。今考えれば、僕の走塁ミスです。当時ピッチャーだったから、あまり無理してリードするな、っていうのがあったんですね。ヘッドスライディングで戻ることもできないですし、極力するなっていうのもある。そういうのがあったから、ちょっとリードがちっちゃかった。一歩でも違えばセーフですからね。それで先輩たちが最後になってしまいましたからね」。
今でも済まなそうに、消え入りそうな声だった。
野茂の2年生の夏は終わった。
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野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。88年ソウル五輪に出場し銀メダル。89年、8球団の競合の末、ドラフト1位で仰木監督の近鉄に入団。体を大きくひねる独特の「トルネード投法」と、鋭いフォークボールによる奪三振などでいきなり18勝を挙げ、スター選手に。90-93年まで史上唯一の4年連続最多勝をマーク。
95年にドジャースに入団し、13勝6敗でナ・リーグ新人王。球宴にも出場し先発を務めた。ド軍2年目の96年(対ロッキーズ)、レッドソックス時代の01年(対オリオールズ)にノーヒットノーランを達成(両リーグでの達成は史上4人目)。
06、07年はメジャーでのプレーはなかったが、08年にロイヤルズで復帰。しかし白星を挙げることなく4月末に自由契約。同年7月、現役引退を発表した。
日米通算201勝155敗1セーブ、3122奪三振。現役時代のサイズは188センチ、104キロ、右投げ右打ち。03年にNPO法人「NOMOベースボールクラブ」を設立。家族は夫人と2男。
野茂氏のオフィシャルサイトがオープン。
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