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稲尾さん訃報に中日落合監督絶句
- 落合監督は、稲尾氏との思い出を語ると悔しそうに唇をかんだ(撮影・山崎哲司)
中日落合博満監督(53)が、ロッテ時代の監督だった稲尾和久氏(享年70)の訃報(ふほう)に絶句した。13日の正力松太郎賞受賞会見で、言葉を詰まらせ「監督と選手を超えた関係だった」「私の財産だった」と話した。中日監督就任時には投手コーチ要請の夢を持っていたことも明かした。
まるで泣き笑いのような顔だった。落合監督は「何か変な日ですね、今日は」と話した後、黙り込んだ。晴れの受賞会見後に話した稲尾氏との日々。「いい人というと変ですが、優しい人でした。野球界から大きな星が消えた」と静かに言った。
訃報に触れたのは昼すぎだった。信子夫人の言葉を聞いて「え、うそ? いつ?」と絶句した。「具合が悪いのも聞いていなくて。最後に会ったのがいつか、記憶がないんです。球場で必ず話をするんだけど、あまり覚えていない。それだけ急だった」と困惑した。
出会いは鮮烈だった。84年の稲尾氏のロッテ監督就任直前、1本の電話が突然かかってきたという。「もしもし、稲尾だよ」という声に「誰? どこの稲尾」と返した。「監督の稲尾だよ。早く(契約の)はんこ押せ」と言われて「それとこれとは話が別」と反論。この電話での会話が、3冠王と17歳年上の鉄腕監督の最初の接点だった。
常に議論を戦わせた。練習場で、遠征先で、落合監督の自宅で。「会えば野球の話ばっかり! 投手はこういう生き物だ、打者はどういう考えなんだって。あれだけ勝ってきた人に打者が分からない投手心理を聞いた。私の中で財産です」。
86年春、極度の不振にあえいだ。信子夫人が「4番を外してください」と直訴した。だが稲尾氏は「何があっても4番を外さない」と起用を続けた。その期待に応えてこの年に3度目の3冠王を獲得。「稲尾さんとは酒を飲んだり、ウチで女房の手料理を食ったりした。監督と選手の立場を超えていた」。勝負に徹するプロ、落合博満にとって、稲尾氏は頼れる“アニキ”のような一線を超えた存在だった。
引退後も「年に何回か顔を合わせた」と言う。稲尾氏が故郷九州で監督になることがあれば「打撃コーチを」と言われたこともある。落合監督も「もう少し早く(自分が)監督になっていたら、投手コーチを頼むよと言っていた」と寂しそうに話した。だがその夢はかなわない。「あんまり酒を飲むなよと言っていたんだけど。強いからね、あの人。70歳か、ちょっと早過ぎるよ。野球をよく教えてくれた数少ない人だった。もう少し野球の話を聞きたかった。残念です…」と話し、宙を見つめていた。【益田一弘】
[2007年11月14日9時58分 紙面から]
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