プロフィル
1974年(昭49)8月30日 | 生年月日 | 1986年(昭61)11月17日 |
北海道・豊浦町 | 出身地 | 大阪市西成区 |
身長164cm、リーチ174cm | サイズ | 身長166センチ、リーチ169・5センチ |
41戦35勝(22KO)3敗3分け | 戦績 | 22戦22勝(14KO) |
右変則ファイター | スタイル | サウスポー |
母子家庭で育ち、中学時代にいじめを受けたことがきっかけでボクシングに目覚める。豊浦高校卒業後、豊浦高卒業後、就職活動に失敗、離婚して埼玉で暮らしていた実父の経営する会社に勤めかたわらでボクシングを始める。 | ボクシングを始めたきっかけ | 4歳で空手を始め、1997年の空手世界ジュニア大会優勝。世界チャンピオンになって親孝行をしたいという思いから、11歳でグリーンツダジムに入門した。 |
96年10月にプロデビューし、98年に全日本フライ級新人王を獲得。01年7月に坂田健史の持つ日本フライ級に挑戦するも引き分けで奪取ならず。02年4月にWBC世界フライ級王者ポンサクレックに挑戦するが、世界タイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負けを喫する。 04年6月に日本タイトルを獲得すると、10月には小嶋武幸を日本タイトル史上最短の1回24秒で下した。05年10月にポンサクレックに2度目の挑戦も7回負傷判定で敗戦。 06年には日本・東洋太平洋の2冠王者に輝く。07年7月にポンサクレックに3度目の挑戦、判定で勝利し悲願の世界王者となった。初防衛戦で亀田大毅を大差の判定で下すと、一気に知名度が上がり、その後の防衛戦のテレビ視聴率は20%以上と人気を得る。 09年5月に熊朝忠を下して5度目の防衛に成功した。09年11月に亀田興毅に敗れ王座陥落。 |
経歴 | 中学卒業後、社会人ボクシングで活動し、02年に全日本実業団選手権フライ級で優勝。03年には全日本社会人選手権フライ級で優勝。17歳の誕生日にプロボクサーになった。 プロ転向4戦目のダオチャイ戦以外はすべて1回KO勝ちで、05年8月に8戦目で東洋太平洋フライ級王座を獲得。06年8月にファン・ランダエタとのWBA世界ライトフライ級タイトルマッチで1回にダウンを奪われるも、2-1判定勝利。日本人3人目の10代での世界チャンピオンになった。この試合の判定に疑問が上がり、同年12月にランダエタと再戦し判定で勝利した。07年にタイトルを返上しフライ級に階級を上げる。 同年10月に行われた内藤大助-亀田大毅戦でセコンドにつき「ひじでもいいから目に入れろ」と指示したことで戒告処分を受ける。08年のプロ18戦目以降はメキシコで試合を行っていた。09年11月にプロ転向後、初めて日本人との対戦である内藤戦で判定勝ちし2階級制覇達成。 |
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