逃げない、負けない、諦めない! 元ラガーマンの新日本プロレス飯伏幸太(37)が、ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会に向け、日本代表へエールを送った。また、ベールに包まれている高校ラグビー部での思い出も明かした。【取材・構成=高場泉穂】

元ラガーマンで、当時から体の強さが持ち味だった飯伏(撮影・大野祥一)
元ラガーマンで、当時から体の強さが持ち味だった飯伏(撮影・大野祥一)

ゴールデンスター飯伏にラグビー界の常識は通じない。日本代表が定める今回のW杯目標は初の8強だが、「ベスト8といわず、優勝じゃだめなんですか?」。色紙に書いたエールは「逃げない!負けない!諦めない!」。左足首痛を抱えながら初優勝したG1中に支えとした言葉を、そのまま桜戦士へ贈った。

記者(右)のタックルをモノともせず前に進む飯伏(撮影・大野祥一)
記者(右)のタックルをモノともせず前に進む飯伏(撮影・大野祥一)

ラグビーとの出合いは15歳の時。中卒でプロレスラーになることを親に反対され、鹿児島・加治木工高に進学。そこで最もプロレスに生かせると感じて選んだ部活がラグビー部だった。「初めて見学にいった時に、フロントスープレックスやってたんですよ。たぶん、正確にはスマザータックルです。相手をつかんで、自分側に倒す。その時はたまたま体が浮いてしまったのだと思いますが。でも僕はそれを見た瞬間、『これだ』って思いました」。

ラグビーの楽しさに開眼しつつも、「すべてはプロレスのため。ぶれませんでした」。ポジションはフォワードの花形NO8で、役割は“投げ”。「試合中に『いけ』とサインがあって、本当に相手を投げまくってました」。反則すれすれの技でチームに貢献した。片手でボールを抱え、もう一方の手でタックルをかわすハンドオフも得意だった。「僕は常にフルスイングで、相手のあご狙い。プロレス、戦い、と思ってやっていました」。今とほぼ変わらぬ体形と50メートル6・2秒の快足で敵を倒しまくり、高3の時には鹿児島選抜候補にも選ばれた。

高校卒業後はラグビーから遠ざかったが、この夏のG1優勝を機に再び接点が生まれた。優勝するとすぐに、ラグビー部同期のグループLINEで祝福メッセージが殺到。その後、帰郷した際には地元テレビ局の企画で母校ラグビー部を約20年ぶりに訪ね、後輩たちのタックルを受けた。「久々にラグビーに触れて、懐かしかったですね。グラウンドも何にも変わってなかった」。当時の監督とも再会し、思い出が鮮やかによみがえった。

ラグビー日本代表への応援メッセージを記した飯伏(撮影・大野祥一)
ラグビー日本代表への応援メッセージを記した飯伏(撮影・大野祥一)

W杯は「見ます」と飯伏。注目選手には、松島幸太朗とトンプソン・ルークの2人を挙げた。松島について「こうた、ろう。僕の名前が入ってるから頑張ってほしい」。代表最年長で1歳上のトンプソンについては「どうやって体力を維持しているのか。肉体的な衰えを感じているのか。けがもどう乗り越えているのか。いろいろ話してみたい」。芝上の選手と自分を重ねながら応援するつもりだ。

◆ラグビー出身のプロレスラー 日本プロレスと国際プロレスで活躍したグレート草津(08年死去)は、元八幡製鉄のロックで日本代表も経験。国際プロレス阿修羅・原(15年死去)は元近鉄でNO8、プロップで日本代表入り。現在テレビマン兼レスラーのKENSOは元明大ラグビー部。新日本でトンガ生まれの巨人バッドラック・ファレは福岡サニックスブルース(現宗像サニックスブルース)で06年から2年間ロックとしてプレー。