今年1月、昨年までプロ野球DeNAのボールパーク部部長を務めていた五十嵐聡氏(41)が全日本プロレス副社長に就任した。ベイスターズの観客動員数を数年で劇的に伸ばした仕事人が、次のステージとして全日本を選んだ理由とは-。就任から3カ月を迎えた五十嵐氏に就任の経緯や今後のプランを聞いた。

全日本プロレス新副社長として改革を進める五十嵐聡氏
全日本プロレス新副社長として改革を進める五十嵐聡氏

故ジャイアント馬場が48年前に創設した全日本プロレスに頼もしいフロントが加わった。今年1月に就任した五十嵐副社長だ。元高校球児で前職は横浜DeNAベイスターズのボールパーク部部長。横浜では、平日の集客にも困る状況から、ファンサービスを充実させることで、毎試合満員となるまで人気を回復させた。昨年、その経験を別のスポーツに生かそうと動き始めた時、さまざまなスポーツ団体、チームからオファーが届いたという。その中で選んだのが全日本プロレスだった。

同じスポンサーを持つ縁で初めて全日本プロレスを観戦したのは昨年2月の横浜文化体育館大会。それが五十嵐氏にとって、初のプロレス観戦だった。その後福田剛紀社長と話を進め、昨年10月に入社を決断した。決め手は“シンクロ”だった。「試合を見たり、話を聞いて、ベイスターズで経験してきたことが全日本プロレスにシンクロしたんです。自分の経験が生かせる、近いストーリーがあるなと思いました」。

重なるキーワードは「継承と革新」。ベイスターズは11年にオーナー企業がDeNAとなって以来、青のチームカラーを踏襲し、地元横浜とのつながりを大事にするなど伝統を守る一方、球団マスコット、チケットの売り方、試合時のエンターテインメントなど他の部分を大幅に革新。旧来のファン層に加え、新たなファンを獲得することに成功した。「全日本プロレスもあと2年で50周年。歴史と、素晴らしい遺産がある。それを生かしながら、今の時代に合った、新しい見せ方を追求していきたい」。全日本でも、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田ら過去のレジェンドが築いていた伝統を大切にしつつ、思いきった新たな戦略で新旧ファンの増加を目指す。

プロレスに関しては、ほとんど知識がない状態からのスタート。現在は選手、スタッフとコミュニケーションを取りながらプロレスを一から学んでいるという。「不安がないといったらうそになるんですけど、逆にその部分はみなさんと会話をすることによって補っていけばいい。逆に、知らないからこそ新しい目線で新たな発想がわくんじゃないかという思いがあります」。

元上司のベイスターズ三原一晃球団代表からも背中を押された。「三原さんは、野球はまったくの素人だった。でも、高田繁さんがGMだったときにホームもビジターも全部一緒にまわって、野球の見方、駆け引きなど1年間隣で必死で学んだと聞いていました。ぼくが全日本に来るときにも『おれがそうだったように謙虚に学ぶ姿勢で教えてもらえば絶対わかるから』と送り出していただきました」。

幸い、全日本には渕正信(66)、和田京平レフェリー(65)らプロレス界の生き字引がいる。「過去の正確な情報は、それを体験している人からしか得られない。渕さん、京平さんにかわいがっていただき、勉強させてもらっています」。新型コロナウイルス感染拡大の影響で全日本も興行を中止、延期するなど大変な状況が続く。そんな中、渕からは励ましのショートメールが度々届く。「こういう時にリーダーはどっしり構えてなきゃだめだ。馬場さんも会社が大変な時でも常に『大丈夫、大丈夫』と言ってた」。大先輩に支えられながら苦境でも前を向く。

頭の中に変革のプランはある。だが、コロナの影響により、短期的に収益を上げることを優先せざるをえない状況だ。本来ならば、顧客情報を把握するために自社のチケット販売システムを新たに構築。女性向けや、来場者全員にプレゼントを行うなど一風変わったイベントゲームを企画する予定だったが、興行はいつ再開できるか分からない。今注力するのは、動画サービス「全日本TV」の普及とコンテンツの充実。アーカイブ動画を増やして古いファンを引きつけるほか、字幕、英語解説を付け、海外のファン獲得も目指す。6日には無観客試合の生配信にも挑戦した。

見る人にいかに喜んでもらうか。大事なのは「一体感の醸成」だと五十嵐副社長は言う。「選手もお客様も含めて会場の一体感をどう醸成していくか。そこに団体とファンとの強いロイヤルティー(信頼、つながり)が発生してくる」。3月23日後楽園ホールではその「一体感」を高めることに成功した。王者宮原健斗対諏訪魔の3冠ヘビー級戦に向け、武藤敬司、川田利明ら第三者が試合の魅力を語る動画を作成。当日までに期待感を盛り上げる試みを行ったところ、当日のタイトル戦は大盛況。終始選手へのコールが響き、諏訪魔が勝利すると会場の熱は最高潮に達した。「こんな社会情勢の中で来場していただくありがたさもありましたけど、それ以上にこの試合を楽しみにしていただいたお客様の思いが爆発した。それを目の当たりにした喜びがありました」。

2年後の団体創設50周年イヤーには、大きな会場のビッグマッチを予定している。それまでは後楽園ホールを中心に地道に観客数を伸ばし、地固めに励むつもりだ。「それまではたとえ状態がよくなったとしても、復調したというイメージを世の中には与えられないと思う。まずは地固めをしっかりして、徐々に新たな全日本プロレスを見せていく。そして2年後、全日本プロレスが息を吹き返したということを世間に広く認識していただけるようにしたいです」。一体感の積み重ねを、大きな夢につなげる。【高場泉穂】

全日本プロレス新副社長の五十嵐聡氏
全日本プロレス新副社長の五十嵐聡氏

◆五十嵐聡(いからし・さとし)1978年(昭53)6月27日、新潟県長岡市生まれ。中越高では高2のセンバツ、高3の甲子園に投手として出場。上武大を経て、01年ゼビオ入社。07年から星野リゾート入りし、「星のや軽井沢」支配人を務める。12年からプロ野球西武ライオンズ。同年秋横浜DeNAベイスターズ入りし、14年からボールパーク部部長。18年からはバスケットBリーグ川崎の立ち上げにも尽力。20年1月、全日本プロレス副社長就任。家族は妻、長男、長女。趣味はランニング。