ボクシング界の「ナカムラシュンスケ」にも、一世一代の決断の時はあった。 サッカー界の「中村俊輔」は、横浜から磐田への移籍でシーズン開幕前の話題をさらうが、こちらは今年新人王を狙う新鋭になる。

 帝拳ジム所属、ウエルター級、6戦4勝(3KO)1敗1分け、1992年(平4)12月7日、24歳。出生届に書かれた名前は「中村駿介」だった。その頃、中村俊輔は当時まだ日産と呼ばれたジュニアユースに所属していた中学生だったから、当然名前の一致に何の縁もない。「よく言われますよ、サッカーやってないのって」と会話の定番になるくらいだと、こちらの駿介は笑う。

 熱心に取り組んできたのは野球だった。ボクシングの開始年齢は21歳だ。志望動機には「自分も輝きたいと思ったため」と書いた。「も」の対象は、あこがれの先輩にある。

 13年全日本大学野球選手権大会で、創部32年目での初の日本一に沸いた上武大。関甲新学生野球連盟所属で群馬県に本拠を置く強豪校にあって、その時の主軸を務めていたのが小川裕生外野手。俊足に好打好守を併せ持ち、いまは社会人野球の東芝でプロ入りにむけて精進する。控えの外野手だった1学年下の駿介はノックのボールをトスしながら、在学中にずっと思っていた。「この人みたいに俺も輝きたい」。最終学年でもレギュラーの座は野球ではつかめなかった。ただ、何か自分でも光を浴びる場所を探していた。

 「ボクシングはずっとやりたいなと思っていたんです」。周りの同級生が就職活動に励む中で、1人プロボクサーになる。「勇気がいりましたよ」。団体競技から個人競技へ。ジムの門をたたくまでに時間はかからなかった。

 14年8月にプロデビュー。先月23日に吉村鉄矢(KG大和)に2回TKO勝ちして4勝目を挙げたばかり。試合内容には課題ばかりで、「トレーナーさんに怒られました」と反省しきりだったが、リーチをいかしたボディー、TKOに追い込むきっかけを作ったカウンターなど、随所に練習の成長の兆しは見せた。

 今年、2度目の挑戦となる新人王大会に挑む。昨年は1回戦で敗退。その後にジムを帝拳ジムに移し、今年こその頂点にかける。ジムには中学まで同じく野球経験がある、WBC世界バンタム級王者山中慎介(34)など一流選手が集い、「最高の環境でやらせてもらっているので結果を出したい」と気持ちは高ぶる。

 中村俊輔にはこんな言葉がある。

 「『敗戦から得るものはない』と言う人もいるかもしれない。でも、僕は負けても得るものはあると考えている」。

 こちらの駿介にも、それは当てはまる。昨年の敗戦をどう生かすのか。野球からボクシングに“移籍”して3年目。「いまは野球ではなく、おれはボクサーだな、こっちの側の人間だなと思えるんです」。大きな人生の決断、その覚悟をみせる17年になる。【阿部健吾】