「今のボクがトレーナーとしてついていたら、ボクも世界王者になれたんじゃないかって」。そう言ったのは帝拳ジムの葛西裕一トレーナー(47)。「今ならいろいろと違った指導はできたし、もっともっとやれることはあったと思う」と続けた。

 葛西トレーナーは横浜高時代に国体を制して専大に進学も、プロを目指して中退して帝拳ジムに入った。順調に白星を積み上げて日本スーパーバンタム級王座を獲得した。

 1学年下の辰吉も同じ87年にプロデビュー。翌年には鬼塚、渡久地、川島といった高校時代から注目の3羽がらすもプロ入りしている。きれいなワンツーを武器にした正統派で、黄金世代の中でも人気ボクサーだった。94年には引き分けをはさんで20戦目に、無敗でついに世界挑戦した。

 結果は初回に3度ダウンでKO負けの惨敗だった。明らかに緊張して、堅くなっていた。30秒過ぎて軽く左ジャブを出したところへ、右ストレートを返されて最初のダウンを喫した。この一発ですべてが狂った。あとは右フックで2度目、さらに攻勢をかけられて3分もたなかった。

 「控室は静まり返っていた。身体は動かしていたけど。今ならいろいろな声を掛けたり、身体をほぐしたり、汗をかかせたり、緊張を和らげることもできる。あの時は堅いままリングに上がってしまった」。

 その後は外国人トレーナーについたり、ベネズエラで単身修行もした。海外のリングにも上がったが、96、97年と通算3度世界挑戦もベルト奪取の願いはかなわなかった。

 トレーナーになると、00年からは移籍してきた西岡と世界を目指した。08年に通算5度目、移籍後4度目の挑戦で、ジムには22年ぶりの世界王者誕生となった。さらに三浦、五十嵐、下田も世界王者に。「ロードワークの目覚まし役までやったり。一生懸命やった」と自負している。

 世界王者にはなれなかったが、世界王者は4人育てた。「ボクは力がなかったのが一番。でも、時代が違ったらと思うことも。あとは運。世界王者になるには運も大事。ボクは運もなかった」と言った。

 不可解判定で世界王座を逃した村田にも、当初はトレーナーとしてついていた。「あの判定はないけど、もっと攻めていってればとも。村田は金メダルをとった。運持ってるはず」。葛西トレーナーはジムを退職し、秋にはアマチュアのジムを開く。世界王者村田誕生へ、これからは一ファンとして見守る。【河合香】