全日本プロレスの秋山準(48)と大森隆男(48)のプロレスデビュー25周年記念大会が21日、横浜文化体育館で行われた。1992年(平4)にデビューした2人は、現在、全日本の社長と取締役として団体の経営に携わる。

 記念すべき大会で、2人はタッグを組んで世界タッグ王座に挑戦した。対戦相手は、大日本プロレスの実力者関本大介、伊東竜二組。そのパワーと若さにたじたじとなりながら、秋山があえて胸を突き出し関本の逆水平チョップに耐える姿は印象的だった。最後はその秋山が、必殺エクスプロイダーで、関本を下し勝利。ベルトを巻いた。

 「やったというより、この年でベルトを巻くという責任感。まだまだ動かなきゃいけないなと思う」と秋山は大粒の汗を流しながら言った。故ジャイアント馬場さんの死後、分裂や選手の大量離脱、経営者の交代と混乱の続いた全日本だが、秋山が社長に就任してからは徐々に経営を立て直しつつある。このところ、1歩下がったような形でプロレスをしていた秋山だが、経営と同じようにプロレスでも若い年代に背中を見せて引っ張る気概を示した。

 試合の合間に行われた記念セレモニーでは、小橋健太さん、川田利明さんらが花束贈呈にリングに登場。同じく25周年を迎え、同じ日に千葉・東金で記念大会を行った永田裕志、中西学からのビデオメッセージが場内に流された。秋山と大森が、三沢、川田、小橋、田上の四天王を追いかけたように、永田と中西も第3世代として武藤、蝶野、橋本の闘魂三銃士に追いつけ追い越せと戦ってきた。

 かつて馬場さんからアドバイスをされても、自分を主張した秋山が、バックステージで中堅の選手に、強い口調でアドバイスをしていた。以前のインタビューで「今になって、馬場さんの言っていたことの意味が分かる。王道というのは、スタイルではなく、馬場さんが教えてくれた基本的なことで、我々が若い子たちに普通に教えていること」と話したことがある。秋山が25年の中で培ってきたものが、今の全日本プロレスの中に流れている。

 25周年記念大会の会場となった横浜文化体育館のロビーでは、5月にリング上の事故で頸髄(けいずい)損傷などで入院中の高山善広(51)を支援する募金活動が行われていた。高山もまた92年デビューで、今年が25周年だった。【プロレス担当=桝田朗】