9日目の16日、立行司の37代木村庄之助(友綱)が65歳の誕生日を迎える。以前なら65歳になる前日の、中日が最後の裁き。規定が変わり、場所中に定年の場合、千秋楽まで土俵を務める。65年名古屋場所が初土俵だから、角界生活は半世紀にもなる。

 5日目の12日。北の湖理事長に定年のあいさつをした。「よく体が持ったね」というねぎらいの言葉。木村庄三郎時代の7年前の秋に、食道がんを患う。2カ月の入院生活を経て1場所で土俵復帰。「あの時は、もうダメだと思った。理事長の言葉には感激した」。

 再び「死」を見たのは、12年初場所4日目。大関把瑠都に送り倒された小結若荒雄と接触。土俵下に転落し記憶が飛んだ。「気がつけば病院のベッドの上。ピクリともしないから周りは死んだと思ったらしい」。脳振とうだったが、休まず翌日も裁く。「空白の13分間」が懐かしい。

 協会から代々、受け継がれる「譲りうちわ」が2本あるが、お気に入りは後援者から贈られた「明鏡止水」の文字が入った軍配。「何ら心に、わだかまりがない心境で裁く、ということです」。巡業で回った全国各地の温泉旅行と釣りを、定年後の楽しみにしている。【渡辺佳彦】