元大関貴ノ浪の音羽山親方が20日に急逝した。

 一報を耳にしたのは、石川県小松市で行われた地方巡業が終わった直後。最初はどうしても、誤報だとしか思えなかった。いや、通夜と葬儀・告別式の場にいて、悲しみの渦に身を置いた今もまだ、現実に起こったこととは思えていない。

 多くの諸先輩方が追悼記事を書かれて、親方の人柄について触れていた。自分は、現役時代の親方について、最後の半年間しか取材をしていない。ただ、幸運にも…と言うより申し訳ないと言うべきか、引退原稿を、この手で書かせてもらった。その会見での言葉。「全然悲しくない。悲しくないんだけど、涙が出る」。そう言って涙を静かに流された姿が、今も浮かぶ。当時の上司はこの言葉を聞いただけで「貴ノ浪らしいな」と惜しんでいた。あれから11年。まさか訃報の記事までも書くことになるとは、今も信じられない。

 自分が知る親方の人柄やエピソードは、多くの諸先輩方の思い出に及ばない。ただ、1つだけ、親方の相撲に対する考え方の一端を、お知らせしたくなった。

 昨年秋場所。新入幕の逸ノ城が快進撃を続けて、初めて大関戦(稀勢の里)が組まれた11日目の、取組前のことだった。親方は新入幕のときに大関に挑み、大関として新入幕の挑戦を受けたことがある。双方の心境が分かる人だった。両方の心境を聞いた後、ぶしつけにも、どちらが勝った方が、相撲界のためになるのだろうかと尋ねた。

 「今日の一番がどっちに転んでも、相撲界全体としてはいいことだと思うんです。ただ、自分はいつも、番付上位の方に勝ってほしいと願っています。負けさせてあげて、強さを覚えさせるんです。『お前も強くなれ!』という方がいい。だって、こうやって対戦が組まれる時点で将来、絶対強くなりますから。雅山もみんな、強くなりましたから。これは上位から下位へ、メッセージを伝える場所だと思うんです」

 その場所、稀勢の里も翌日の豪栄道も壁にはなれなかった。物足りなさが残る3人の日本人大関はその後も、メッセージを伝え切れていない。「日本一の相撲好き」を公言していた親方からの「遺言」。3大関には、そう捉えてほしい。【今村健人】