来月10日で65歳を迎える千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)にとって、定年前の今場所が師匠として臨む最後の本場所。「まあ1つの区切りというか、あっという間だったような長かったような」と言葉を選んだ。

 89年名古屋場所で引退後は春日野部屋付き。04年9月に分家独立し、千賀ノ浦部屋を創設した。最良の思い出は10年九州場所。部屋の力士から初めて、舛ノ山が関取になった。「育てる喜びを初めて感じたね。大部屋の春日野にいた時は『簡単だろう』と思ってたからね」。逆に「自分の子供より、きちんと育てないといけない。1人に1枚ずつ、ふるいをあてがうようにね。引退後どこに出しても恥ずかしくない人間に育てないと」と力士育成以上に人間教育に腐心した。

 2月23日に、がんが見つかった腎臓の摘出手術を受けた。体をいたわる時間ができる。知人に預けている伝書バトの飼育という趣味も存分に楽しめる。だがしばらくは、それもお預けになりそうだ。「自分が連れてきた子が現役でいる。彼らを見届ける責任があるからね」。定年退職を迎えた親方を最長70歳まで再雇用する、業務委託契約を利用し協会に残る。定年は迎えても、相撲人生に区切りはつけない。【渡辺佳彦】