日馬富士に続き鶴竜も休場となり、大荒れの初場所。その一翼を担うのが、西前頭2枚目の荒鷲だ。6日目の鶴竜に加え、8日目は白鵬も撃破。鶴竜戦の初金星は、外国出身では最も遅い(昭和以降)初土俵から85場所目での獲得だった。

 ようやく注目を浴びたモンゴル出身の30歳は、2度の部屋移籍を経験した苦労人。ということは、師匠も3人いる。入門時の荒磯親方(元小結二子岳)、現在の峰崎親方(元前頭三杉磯)。そして、荒磯親方が定年を控えた08年秋場所後に、荒鷲を引き受けた花籠親方(元関脇太寿山)だ。元弟子の活躍に、現役時「ムーミン」の愛称で親しまれた花籠親方は「20件以上おめでとうメールが来た。うれしいね」と目を細めた。

 移籍当時、幕下中位だった荒鷲を見た花籠親方は「腕っぷしが弱い」と、てっぽうをさせ続けた。後方で腰を押さえて負担をかけ、全身の筋力も強化した。そのかいあり11年名古屋で新十両昇進。だが、翌12年夏場所後に、花籠親方は経営上の理由で部屋を閉じた。

 ただ、現在も峰崎部屋付きとして荒鷲を見守る。「しぶとくなった」と成長を喜び「ケガなくやって三役に1度でもなってくれれば」。前師匠は、優しい目でそう願った。【木村有三】