ロシア出身で夏場所前に引退した元幕内力士の阿夢露(あむうる、34=阿武松)が16年にわたる力士生活に別れを告げた。さる16日、部屋近くの千葉・幕張本郷にあるホテルで関係者約150人が出席して断髪式が行われ、最後に師匠の阿武松親方(元関脇益荒雄)が止めばさみを入れた。

 手塩にかけて育てた弟子の、第2の人生の船出に、師匠は16年前に思いをはせた。「場所前に『力士になりたい』と訪ねてきましたが、ちゅうちょしました。細い体を見て『モデルさん?』って。『ロシアに帰って考え直したら』と言ったんです」。2人きりで対面した焼き肉店でのことだった。

 一時帰国した阿夢露だったが、すぐに再来日し「やりたいです」と直訴。その熱意にほだされて入門を許可。以後、師匠いわく「宝くじに当たったような真面目な力士として、部屋の手本だった。ケガに次ぐケガにもあきらめず、へこたれずにやってきました」と目を潤ませる。10年かけて12年初場所で新十両に。外国出身力士では史上2位のスロー昇進だった。

 だが、晴れのその場所で右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂。序二段まで番付を下げたが、約2年をかけて関取に復帰。「トレーナー、治療の先生、病院の先生が『チーム・アムール』として、ロシアの真面目な青年を幕内に引っ張り上げようと応援してくれた」(阿武松親方)のが実を結び、4場所後には待望の新入幕、その1年後には最高位の東前頭5枚目まで番付を上げた。こちらの方は、外国出身力士で1位のスロー出世だった。

 192センチ、125キロの細身の体で、相撲は「左前みつしか武器がない」(同親方)という性格そのままに、愚直に前に出る相撲で活躍した。やはり三役からケガで幕下まで陥落しながら大関の座を射止めた、同じ東欧(ジョージア)出身の栃ノ心(春日野)も多忙なスケジュールを縫って、断髪式後のパーティーに駆けつけた。言葉や文化の壁、重傷を乗り越えるなど、同じような境遇で歯を食いしばってきた“戦友”に、部屋も一門の壁もない。

 ケガに悩まされてきた相撲人生。第2の人生は、経験を生かしスポーツトレーナーを目指すという。「ケガも多かったけど、いろいろな先生にみてもらった。自分もスポーツ選手を支えたい」。資格を取るために、まずは4月から日本語学校に通っている。「簡単な漢字は書けるけど、もっと勉強しないといけないから」。日本での永住権も持っているそうで「国籍を変えることはないけど、日本に残ります」と言う。焦らず腐らず土俵生活を送ってきた苦労人は、第2の人生も地道にコツコツと積み上げて行く。それが成功への道であることは、身に染みて分かっている。