大相撲春場所中に、横綱鶴竜(現鶴竜親方)が現役を引退した。引退会見で印象に残ったのは、報道陣から「モンゴルの後輩へどんなエールを送るか」と質問された時の答えだった。

鶴竜 人に慕われる、後輩にも慕われる、人間としても成長して、いい人間になって欲しい。お相撲さんとしてだけじゃなくて人間としても成長して欲しい。

鶴竜の人柄の良さを、あらためて実感することができる返答だった。と同時に、ある出来事を思い出した。

16年、福岡・九州場所でのことだった。同場所で3度目の優勝を達成した鶴竜は、千秋楽から約1週間後に控えていた冬巡業参加のため、帰京せずに福岡に滞在していた。各地方場所後には通常、地方巡業が控えていて、参加する関取や付け人は本場所後に地方の宿舎に滞在することが多い。その際、千秋楽以降はちゃんこを作らない部屋がほとんどで、食事はおのおので調達しなければならない。当時、巡業参加のために福岡に滞在していた旧井筒部屋の若い衆と話す機会があった。巡業開始までの約1週間の日々の食事をどうしているのかと聞いたら「今日の昼は横綱が弁当を買ってきてくれました」と言った。

鶴竜自らが、宿舎近くの弁当屋に所属力士5人分程度の弁当の買い出しに行ったという。買い出しに行った経緯を聞くと「横綱が『場所中の付け人業務とかで疲れているだろうから俺が行くよ』と言ってくれました。こんな横綱いませんよね。本当に頭が上がりません」と恐縮しきりだった。後日、鶴竜本人に真相を聞こうとすると「まぁ、いいじゃない」と恥ずかしそうに笑い、多くは語らなかった。

心優しい横綱だった。報道陣にはいつでも快く対応。海外サッカーやNBAなどの他スポーツへの興味と理解も深く、海外で活躍する日本人選手がいると、評論家のように流ちょうに思いを語ってくれた。いつも穏やかな口調で話し、弟子にも当たり散らさない。周囲からの人望は高かった。

鶴竜は母国・モンゴルで相撲中継を見たのがきっかけで、角界への入門を望むようになった。角界へのつてが全くない中、15歳の時に相撲愛好会「日本相撲振興会」に送った手紙が、関係者を通じて先代井筒親方(元関脇逆鉾)に渡ったのがきっかけで旧井筒部屋に入門。「手紙を受け取ってくれて、拾ってくれて感謝の気持ちでいっぱい。一生忘れることはない」と当時を振り返った。

先代井筒親方からは「土俵に入ったら鬼のようになって、土俵を下りたら笑顔でみんなと接しなさい」と教えられたという。まさに、それを体現し、人としても“横綱”を張った横綱だった。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)