横綱白鵬(36=宮城野)が、記録と記憶を残して土俵を去った。土俵上の実績以外だと、白鵬といえば「サービス精神が旺盛」というイメージが強かった。巡業や花相撲が顕著だった。

時間に限りがあるときは付け人が制止するが、ファンのサインや握手対応には誰よりも精力的だった印象がある。ひとつひとつの行事を無駄にしない。2年前の19年夏巡業。初代若乃花が生まれた青森・弘前市からほど近い板柳町の巡業で、初代若乃花の得意技だった「呼び戻し」を披露した。駆け付けた2000人ほどの観客も大喜びだった。

相撲史に対する勉強熱心な面と、持ち前のサービス精神がよく表れていた場面だったと思う。白鵬は当時「呼び戻しといえば青森。初代若乃花といえば呼び戻し。『地元にきた』と縁を感じられるからね」と意図を説明した。関取になって17年、横綱になって14年。看板力士として相撲界の行事は何回も、きっと何百回も参加してきたはずだが、何か“見せ場”をつくろうとする姿勢は際立っていた。

もう一つ、白鵬は家族という存在の重要性を、自ら説くことが多かったように感じる。モンゴル人として初のメダリストになるなどした、父ムンフバトさん(故人)が偉大だったことが大きく影響しているのかもしれない。相撲記者の中でも若手中の若手だったためか、取材の中で白鵬に人生の“助言”みたいなものを言われることもあった。印象に残っているのは「若者は早く独り立ちして、親孝行することが大事だ」という言葉。同じようなことを、部屋の力士にも言い聞かせているのかもしれない。かつて引退した弟弟子には「親の足を洗ってみなさい。自分を育ててくれた人が支える足に触れることで、その重さを実感できるから」と伝えたことがあるそう。15歳でモンゴルから来日。家族との結びつきが、白鵬の大きな力だった。

10月1日の引退会見には、紗代子夫人や子どもたちも駆け付け、「パパ」にねぎらいの花束を渡していた。会見で「奥さんと子どもたちが支えてくれたことで、ここまでこれたのは間違いありません。『強い男の裏には賢い女性がいる』。この場を借りて妻に感謝したい」と語っていた白鵬の表情は、とても柔らかいように感じた。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)