亀田興毅語録集

「オレらはノンタイトルでも世界戦と一緒や。いつも大会場で、注目もされてるからな。世間は9対1で内藤かもしれないけど、大毅は軽くクリアしてくれるはずや」
 2007年8月18日  世界初挑戦の決まった大毅について、亀田は期待を込めて語った。
 初の米国人との対戦で、恒例のパフォーマンスではあめとリカちゃん人形を出した。
 2007年7月28日  セサール・ロペスにフットワークを使って確実にポイントを奪い、1人のジャッジが100―90をつける3―0の判定勝利に満足げな表情を浮かべた。
「アメリカ人との対戦は初めてやから、わざわざ買うてきたんや」
2007年7月27日  初の米国人との対戦で、恒例のパフォーマンスではあめとリカちゃん人形を出した。
「うまい選手と戦って、自分のレベルを上げたい。マッハのスピードを見せるで」
 2007年6月28日  対戦相手が元北米2階級制覇王者のセサール・ロペスに決定したが、いつものKO宣言を封印し、テクニックで勝つことを誓った。
「1年ぶりにKOできてよかった。周りが想像できんくらい、プレッシャーはあったよ。早くKOせなアカンと感じてた」
 2007年5月23日  イルファン・オガーに8回2分23秒TKO勝ちした亀田は、地元がい旋試合を公約通りのKOで決めた。
「気合入ってるわ。亀田とメンチはセットやろ。親父が止めへんかったら、そのまま行っとったで」
 2007年5月22日  前日計量に臨んだ亀田は1発パスすると、約1年ぶりにメンチ切りを復活した。
「今日はさすがのカリスマもあかんわ。もっとパワーをつけてレベルアップしないとな。見に来てくれた人にも申し訳ない。アマではなくプロやからな」
 2007年3月24日  WBC同級12位エベラルド・モラレスをKO出来ず、3-0の判定勝ちに不満顔で語った。
「黒人スタイルの完成形や。こんな似合う日本人はオレしかおらへんで」
2007年3月23日  エベラルド・モラレス戦の計量で亀田はニューヘアを披露した。
「バッシングされた時、常に前に出て頑張ってくれた…。オヤジ… ありがとう。オレらの壁になってくれた」
 2006年12月20日  初防衛を飾った亀田は苦悩の4カ月を振り返りながら大事な父に感謝した。
「衝撃的やろ。渋いやろ。黒人モデルや。試合でも黒人のボクシングや」
 2006年12月19日  黒人の間で流行している「モヒカンパンチ」で前日計量に登場した亀田はニヤリと笑う。
「おまえのために朝6時から待っていたらソン・スンネン。おまえはオレに倒されてソン・スンネン。(12回の)36分間、歯を食いしばって立っとけ。たたきつぶしてやるから」
 2006年12月18日  調印式で、韓流スター、ソン・スンホン来日が偶然重なり、人気者扱いを受けたランダエタを皮肉り亀田節を全開した。
 「直前(公開スパーリング)は今日や。集中したいしな」
 2006年12月8日  新たなボクシングスタイルを習得中で情報漏れを防ぐため、恒例の直前公開スパーリングを実施しないことを発表した。
 「これで酒も飲めるし(ランダエタ戦では)酔拳でも使うかな」
 2006年11月17日  20歳の誕生日を迎えた亀田は父史郎氏から20年ものの岩手の米焼酎をプレゼントされた。
 「今まではケンカだったけど、これからは、ちゃんとボクシングをする。次はボクシング人生の懸かった大事な試合だから。ランダエタ戦はいろいろ勉強になった。今までのスタイルだけでは無理。これからは2階級、3階級制覇の夢もある」
 2006年11月4日  都内でスパーリングを公開した亀田はガードを下げて、前後左右に足を使ったオーソドックスなスタイルを見せた。
 「オレ的には切れた場所がいい。引退した後もあとが残らんから」
2006年10月10日  初防衛戦延期の原因となった左まぶたの裂傷部分を公開した。
 「あいつだけは許さん。1回にダウン、判定まで行ったし、オレのプライドが許さんな。あいつごときにああいう試合した時点で、オレの気持ちが納得いってないからな。たたきつぶすよ。この減量でうまくいったら、ヤツは死ぬな。ベネズエラまで飛ぶよ」
 2006年8月31日  10月18日に東京・有明コロシアムで同級1位ファン・ランダエタと初防衛戦を行うことを正式発表した。
 「オレのことを嫌いなヤツは『よっしゃダウンした』という人もおったやろ。それで視聴率も上がったやろな。でも負けへんよ。それだけの練習はしとるし、根性もある。これから伝説は続いていくよ」
 2006年8月2日  亀田は試合後、TBSテレビ系の「NEWS23」に生出演し、普段のビッグマウスぶりを披露した。迷彩服にサングラス姿で登場。苦戦した試合内容についてと亀田節をさく裂させた。
 「ぶざまな試合をしてすんません。あかんよ。悔しいな。これも勉強。次はもっといい試合みせる」
 2006年8月2日  本人も認めるきん差判定勝ちだった。
 「どんなもんじゃいー! 親父(おやじ)のボクシングが世界に通用することが証明できて良かった。これは親父にプレゼントします。親父、ありがとう!」。
 2006年8月2日  WBA世界ライトフライ級2位の亀田興毅が同級1位ファン・ランダエタを2-1の微妙な判定で下し、泣きながら横浜アリーナを超満員にした1万5000人のファンに絶叫した。
 「見ての通り、キューピーのマヨネーズのやつや。名前が赤ちゃんらしいから赤ちゃんを持ってきた。相手に対して何もない。オレは豪快に倒してベルトを取るだけや。今までの世界戦にないような豪快な試合をする。ボクシングのレベルが違うからな」
 2006年7月31日  2日のWBA世界ライトフライ級王座決定戦(横浜アリーナ)の調印式で亀田興毅は「ベイビー」が愛称の対戦相手ランダエタに大型のキューピーちゃん人形をプレゼント。
 「食べへん体でリングに上がっても弱いやろ。やっぱり食べてリングに上がらんと強くないからな。これはマクドナルドの普通のハンバーガーや。体重はリミット(48・9キロ)近いよ。コンディションも今までで一番ええな」
 2006年7月31日  2日のWBA世界ライトフライ級王座決定戦(横浜アリーナ)の調印式で亀田興毅はファン・ランダエタの眼前でハンバーガー1個を食べて不安視された減量が順調であることをアピール。
 「いつも体重は量るけど胸囲は測らんから今まで分からんかったけど95センチやった。驚異の胸囲やな。ライト級やん。オレはライトフライ級からフライを抜いとって」
 2006年7月27日  都内の病院で予備検診を受けた亀田興毅はパンチ力の源となる胸囲が8階級上のボクサー並みの95センチと驚きの数値して上機嫌。
 「そのぐらいボクサーとして言っておかなあかんやろ。ナンボでも言ったらええやん。ランダエタは普通のボクサー。ビデオで研究しても、オレは1戦1戦変わるから意味ないな」
 2006年7月25日  元WBA世界ミニマム級暫定王者のランダエタに「ビデオで2試合分、見たが、並のボクサーだろう」と挑発された亀田は余裕の切り返し。
 「倒すイメージが見えてきた。今回のスパーみたいにいくよ」
 2006年7月13日  世界戦で使用する時価総額200万円のダチョウ革製シューズを初披露した亀田は最高級の革の柔軟性と軽さに、あらためて勝利を確信。
 「みんなでかいな。オレが小さく見える。でもオーラはオレが一番やな」
 2006年7月13日  20世紀フォックス社の「X-MEN ファイナル・ディシジョン」に出演するヒュー・ジャックマン、ハル・べリーらの来日会見に亀田が同席した。
 「オレは人間を超えたな。普通の人間とちゃう。もう宇宙レベルやな」
 2006年7月10日  映画「X-MEN ファイナルディシジョン」の配給会社、20世紀フォックスがスポンサー企業になることを発表した亀田は、X-MENの主人公ミュータント(進化型人間)に自分をなぞらえた。
 「ボクシングも温暖化も、コツコツいかんとあかんねん」
 2006年7月6日  小池百合子環境大臣と対面し、イメージキャラクターを務める温暖化防止キャンペーン「STOPや! レジ袋」のポスターを披露した。
 「別に好きなことを言えばええやろ。なんぼでも言えば、ええんとちゃうの。トップ選手は何でも言われる。言われた時点でオレもトップになったということや」
 2006年6月27日  具志堅用高氏が協栄ジムの姿勢、亀田の言動などに厳しく意見したことを受けても涼しい顔。
 「前回(5月5日の2回TKO勝ちしたファハルド戦)と同じ感じで倒す。パワーで圧倒的に押すからな。オレのパンチならどこで受けても効くよ。スピードもないし、普通の相手や」
 2006年6月15日  ナイキ社との共同開発で世界戦用コスチュームを製作が決まって、自信満々の表情。
 「きっちり倒しにいくから。10万円の高い席を買うた人は、なかなかええ判断やな。金額以上のもんを見せるよ」
 2006年6月13日  8月2日の世界戦(横浜アリーナ)で設定された10万円のファーストクラスシートが17日の一般販売を前に売り切れ。
 「どんなもんじゃい。3兄弟やから33%で3並びでええな」
 202006年5月6日  5日に2回TKO勝ちしたカルロス・ファハルド戦の視聴率がビデオリサーチから発表され、平均33・0%、瞬間最高40・8%(関東地区)をマークして上機嫌。
 「次(世界戦)よりも今日は勝ったでええやろ。普通通りにやれば誰が相手でも倒れるよ。オレはカリスマやな。気持ち良かったし、今日は亀田の日」
 2006年5月5日  WBC同級31位のカルロス・ファハルド(25=ニカラグア)に2回TKO勝ちして満足げ。
 「アイツは根性ないな。メンチ切ったら泣いとったな」
 2006年5月4日  前日計量後、対戦相手のファハルドを横目に両腕でフライパンを折り曲げてメンチ切り。軽量級離れした怪力と迫力で、ファハルド陣営を退散させた。
 「K-1、PRIDEは1つの大会で何人も試合する。オレは1人で視聴率を稼ぐ。オレには未来があるんや」
 2006年3月9日  8日のボウチャン戦の視聴率が平均24・8%、瞬間最高も31・8%と驚異的な数字を記録し、本人もびっくり。
 「時期がきたら確実に世界を取る。単なる世界王者やない。ムハマド・アリのようなカリスマになる。伝説になるんや」
 2006年1月2日  強化合宿先の群馬・高崎市内にある少林山達磨(だるま)寺を初詣でし、名物の縁起だるまの左目に筆を入れた。
 「4位でも8位でも関係ないな。世界戦やれる15位以内におればええんや。でも(1位になって)指名試合でもええで。どっちにしても目標は『世界』1つやしな」
 05年12月23日  最新のWBAランキングで世界フライ級8位から4位に上昇し、同級の日本人最高位となった。
 「MVP以外は意味ない。KO賞? いつも言うてるやん。亀田とKOはセットやって。あらためて認められる必要はないねん」
 2005年12月16日  年間表彰選考会でKO賞、新鋭賞の2部門で選出されたが、あっさり辞退を表明し、前代未聞の騒動となった。
 「あいつ、いきなり頭持ってきたしな。試合中もムキにさせようとしてきてた。でも今日は、キレそうになったとき、いかに冷静にやれるかやったから」
 2005年11月26日  前WBA世界ミニマム級王者ノエル・アランブレットを7回終了TKO。強打を受ければすかさずクリンチされるイライラの展開に思わず一言。
 「あいつ、もう泣きそうやん。腹立つ。5ラウンド以内で倒すよ。それ以上は絶対にもたん」
 2005年11月25日  26日に対戦するランブレットと初顔合わせ。あまりの反応のなさに激怒し、会見後のツーショット写真撮影にも応じず退席した。
 「オレはもっともっと進化せな。世界王者にならんとあかん」
 2005年11月17日  19回目の誕生日を迎えて、大阪市立自然史博物館で開催中の「恐竜博2005年」を訪れ、鳥へと進化したといわれる恐竜の展示品を見学。
 「オレのボクシングで勇気を与えられたらええやろうしな。ボクシングって怖いイメージあるやろ。おっさんとかいない、女性だけ、子供だけのスペースがあってええと思うねん」
 2005年10月18日  11月26日のアランブレット戦で小学生、身障者のために1000席の無料シートを用意した。
 「すごいやろ、オレの予告。ワン、ミー(1、3回)でダウン取ったやん。まあオレ、パンチあるから。オレのパンチ受けて、効かへん人間おらんから。あいつなあ、調子乗ってメンチ切ってきたし、絶対しばいたろう思ったからな」
 2005年8月21日  王者ワンミーチョーク・シンワンチャーと対戦。1回40秒すぎ、強烈な左カウンターで最初のダウンを奪うと主導権を握って3回にも2度倒して3回50秒TKO勝ちした。
 「ホンマありがたいな。しかしオレ、みんなに好かれるな。やっぱりカリスマ性あるんちゃうん」
 2005年8月18日  21日の東洋太平洋フライ級王座挑戦を前に、明石家さんまから所属する協栄ジムに高級焼き肉店の食事券などが届き、思わずニンマリ。
 「オレのボクシングが世界に通用することが証明できた。(ナバーロは)いい選手やで。(徳山戦は)勝ってほしいな。(スパーリングで)負けてたら応援できんけどな」
 2005年7月23日  WBC世界Sフライ級1位ナバーロとのスパーリング打ち上げ。拳を交えた4日間は終始内容で上回り、次戦に王者・徳山への挑戦が濃厚なナバーロに余裕のエール。
 「ヘッドギアがなかったら倒れてたな。たいしたことない。おれの方がパワーあるな。十分世界に通用するわ。『カモン』と言われたからな。調子乗ってんなら、しばいとこうと。今日はホテル帰って、泣いてるんちゃうか」
 2005年7月20日  WBC世界Sフライ級1位ナバーロと4回のスパーリング。1階級上の強敵をボディー攻撃でダウン寸前に追い込み、左フックで右ほおから流血させた。
 「気持ちの高ぶりはないよ。オレは世界しか見てへん。勝てば世界ランク15位以内に入る。それが今年の目標やし、世界戦ができるからな。東洋太平洋王者なんて、そんなもん楽勝やで。普通にボクシングしたらコロッと倒れてくれるやろ。オレのパンチで12ラウンドまでもたへんて。立ってたら相手が怪物や。褒めるよ」
 2005年7月19日  8月21日のプロ8戦目が東洋太平洋フライ級王者ワンミーチョック・シンワンチャー(28=タイ)への挑戦に正式決定。
 「最初のパンチ、ガードの上やったけど全然パンチなかった。あれで勝てると思ったわ。レベルが違うよ。昨日のメンチから勝ってるやん!」
 2005年6月20日  元世界王者サマン・ソーチャトロン(タイ)に1回2分59秒でKO勝ち。戦績を7連勝(6KO)とした。
 「マウント取って総合にいくかーって。関節を決めようと思ったわ。向こうもケンカならこっちもケンカや」
 2005年6月2日  元日本ランカーの臼井(ヨネクラ)とのスパーリングで足を引っかけられ、一緒にリングに転倒。激怒してそのままマウントを奪うと、強烈な左ストレートを顔面に1発見舞った。
 「ケンカしにいこうと思ったけど、むやみにいってパンチをもらったらあかんからな。オレにはいっぱい引き出しがあるんや。どんな状況でも負けへんで。ケンカでもボクシングでも、何でも負けへん」
 2005年5月22日  サミン・ツインズジム(タイ)を1回1分48秒でKO。開始1分は相手の動きをじっくり観察する初めてのスタイルで戦い、左ストレートから返しの右フックで失神させた。
 「同じ階級でパワーは勝った。あれだけのパワー差があるんや。今日の内容は判定で勝ってるよ。あれで判定で負けているとは思わない」
 2005年5月19日  同門になったWBA世界フライ級4位・坂田とスパーリング。先輩を「いい刺激というよりヘタしたら食われちゃうかも」と驚かせた。
 「どや(免許は)15日間で1発パス、1戦1KOや。世界王者になったら、フェラーリかランボルギーニの車を買う。その前に誰かプレゼントしてくれへんかなあ」
 2005年5月17日  大阪市内で前日16日に取得した運転免許と中古のトヨタ・カローラをお披露目。
 「協栄で世界王者になるよ。来年(20歳の誕生日の)11月17日前にな。絶対になる」
 2005年4月28  紆余曲折を経て移籍トラブルが収束し、協栄移籍が決まる。大阪市内のホテルで「移籍調印式」を行い、会見。
 「何回も言うけど、オレは物やない。何で勝手にオークションにかけられなあかんのや。首に3000万円の値札をぶら下げられたんやで。こんなんおかしいって全部、話すよ」
 2005年4月12日  所属するグリーンツダジムが最低落札金額3000万円で入札にかけると発表した件で、日本ボクシングコミッション(JBC)に直接、入札の不当性を訴えることを表明。
 「ええ気持ちやったあ。めっちゃ盛り上がったな。やりがいあるで。緊張? 別にいつも一緒やで。(予告した)1回2分以内に倒す。それだけやんか」
 2005年2月21日  ヨードケン・シンワンチャー(タイ)を1回2分10秒、右フックでKOして後楽園ホールデビューを飾った。大入り2500人の会場からは「メンチ、メンチ」の大合唱。
 「メンチ、勝ったな。バチバチやったった。しかしあかんな、あいつ。泣いとったもん。豪快に倒したる。さぶいぼ(鳥肌)がバーッと出るぐらいにな。普段も生卵を? 飲めへんよ」
 2005年2月20日  後楽園ホールでの東京デビュー戦を前に都内で計量。ヨードゲン・シンワンチャー(タイ)の前で生卵一気飲みのパフォーマンスを見せ、1回KOを予告。
 「目標やった。1回、2分以内でKOや。K-1に負けへんような人を引きつける試合をする。チャンスがあれば世界(王座)も狙いたい。2005年はオレの年にせなあかん。亀田とKOはセットやからな」
 2005年1月8日  初の東京進出、2月21日の後楽園ホールデビューが決まって。
 「前回は闘犬が弱い犬になっとったからな。今回は牙をむいたった。牙さえむけば、最強や! 来年は後楽園で試合するで! 来年は世界ランク入り。世界王者はその次の年や」
 2004年12月13日  ノパデッチレック・チュワタナ(タイ)から2度のダウンを奪い、2回59秒KO。前回4戦目の判定勝ちの悔しさを晴らした。
 「とにかく世界ランク入り。19歳で世界王者にならなあかんから」
 2004年11月17日  18歳の誕生日に闘犬を引き連れて大阪市中央公会堂に現れる。5戦目でノパデッチレック・チュワタナ(タイ)と戦う会場で10代世界王者を誓う。
 「みんな1ラウンド、1ラウンドばかり言うからな」
 2004年9月27日  プロ4戦目でダオチャイ・KTジム(タイ)と初の10回戦で対戦。連続1回KOどころか判定勝ちに終わり、号泣
 「次も1回KO? 狙うよ。普通にやったら終わるわ。誰が相手でも。今でも世界はとれるけど、次の防衛は難しい。オレは無敵の王者になりたいねん。KOの記録だけ狙いたい」
2004年7月21  プロ4戦目発表会見。グリーンツダ津田会長が日本最速タイ8戦目での世界奪取プランを明かしたが、スピード記録には興味を示さなかった。
 「オレとやるまでベルトを持っとけよと言うたんや」
 2004年6月4日  東京でWBA世界フライ級戦パーラVS坂田を観戦。判定勝ちした王者パーラをリングサイドで発見してメンチを切ると、王者のセコンドがあわてて割って入った。
 「これでおねんねしなさい。なんやて! めっちゃ、むかついた。絶対どついたんねん。予告? 何秒は分からんけど、1ラウンドやな。ボディーブローで倒したる、あいつ」
 2004年5月21日  プロ3戦目の前日計量でサミン・ツインズジム(タイ)に直筆のサイン入りの枕を持参したが、「こんなものいらない」と突っ返され、顔を真っ赤にしながら。
 「オレとやったら、だれでもダンゴ虫になってまうんや。丸まってるやつを倒すんは難しいんやで。来年の終わりには世界をやりたいな」
 2004年3月13日  プラカルソン・ツインジム(タイ)に1回1分12秒KO勝ち。開始5秒でダウンを奪い、体を丸めてガードを固め、完全な防御体勢をとる相手を乱打して試合を終わらせた。
 「あかん! あいつ元気なさすぎる。めっちゃ腹立ってきた。2回や言うてたけど、1回で倒す」
 2004年3月12日  プロ2戦目の前日計量で相手のプラカルソン・ツインジム(タイ)にメンチを切ったが、あまりの無反応に激怒。予告KOラウンドを変更する。
 「ポンサク、たいしたことなかったわ。あいつと世界やる。自信ついた。完ぺきや。オレもさすがにやられる思ったんやけどな。1日目はケンカで勝ち。2日目はボクシングやって勝ち。両方勝ったからオレの勝ちやろ」
 2004年2月17日  タイ武者修行から帰国。現地でWBC世界フライ級王者ポンサクレックと2日連続5回のスパーリングを行い、圧倒してきたと胸を張る。
 「スポーツ界全体やったら朝青龍や。オレと似てるとこあるやろ。メンチ、バチバチ切るし、いろいろ問題も起こすやん」
 2004年1月14日  プロ第2戦発表会見で報道陣の「あこがれる男は?」の質問に答えて。
 「眠たい試合ばっかりや。どうせ判定までいくからもうええやん」
 2004年1月3日  大阪でダブル世界戦を観戦。メーンはWBC世界Sフライ級王者・徳山のV8戦だったが、退屈そうな表情で9回終了後に会場を後にした。
 「ちょっと止めるの早かったな。でも、あれ以上やったら死ぬもんな。もっと技術があるところを見せたかったけど、秒殺を予告してたからな。ボクシングはケンカや。世界王者目指してやってるよ。だれが相手でも、まずメンチからや」
 2003年12月21日  デビュー戦でデンナロン・シスソバ(タイ)を1回44秒でKO。
 「泣きそうな顔しとったな、オレのメンチで。(相手は)小さいな。ホンマに秒殺せなあかん。一撃や。ヤキソバにしたる(ぐちゃぐちゃにして食ってやる)。左ストレートで倒すよ。いや、右フックかもしれんな」
 2003年12月20日  デビュー戦前日計量で相手のデンナロン・シスソバ(タイ)と初対面。その名前をもじって挑発するなど、緊張はまったくなし。
 「こんなにカメラが来るんやったら、散髪してくればよかった。デビュー戦ぐらい右だけでいけるけど、必殺は左やからな。左で倒す。秒殺するよ。55秒。(ヤンキース)松井の背番号と同じやったらすごいやろ。楽しみよ。最近、ボクシング人気ないしな。K-1とか、プロ野球に負けてる。オレが盛り上げたいけどな」
 2003年12月12日  デビュー戦前に異例のの公開スパー。20人の報道陣が見守る中、8勝(6KO)1敗のA級選手・中島と互角の打ち合い。2週間前に左拳を痛めて得意の左ストレートは軽くしか打てなかったが、改めてKO宣言。試合は6回戦に変更された。
 「カウンターで倒そうと思ってたんやけどな。今日はあかんかったな。でもあかんかってもどうってことない。試合でよければええんやから。はよう試合がしたい」
 2003年11月30日  プロテストのB級ライセンスを受検。2勝2KOの名城(六島)と互角に渡り合う
 「ちょっと意気込みを示すわ(と言って立ち上がり、厚さ5センチの少年マンガ誌を引きちぎって)、30秒以内で倒す。(観客の)だれ1人、寝させない試合をする。1分以内に倒せば眠たないやろ」
 2003年11月17日  17歳の誕生日にプロデビュー戦発表会見。デンナロン・シスソバ(タイ)戦は4回戦でメーンイベント、ファイトマネー1000万円の破格待遇にも平然で、しゃべりで早くも一流の証明!?
  「ちょっと意気込みを示すわ(と言って立ち上がり、厚さ5センチの少年マンガ誌を引きちぎって)、30秒以内で倒す。(観客の)だれ1人、寝させない試合をする。1分以内に倒せば眠たないやろ」
 2003年11月30日  プロテストのB級ライセンスを受検。2勝2KOの名城(六島)と互角に渡り合う