WBA世界フライ級3位の井岡一翔(26=井岡)が、涙の3階級制覇を達成した。8度防衛中の同級王者フアンカルロス・レベコ(31=アルゼンチン)を激闘の末、12回2-0の判定で破った。日本人の3階級制覇は亀田興に続く史上2人目で、18戦目は世界最速。90年代に4度挑戦も全て失敗した元2階級王者・叔父弘樹氏(46)の無念を晴らし「井岡家の悲願」をかなえた。井岡の戦績は18戦17勝(10KO)1敗となった。

 涙があふれた。勝利のコールが響くと、井岡は父一法会長(47)の胸に顔を埋め、泣いた。叔父弘樹氏が3階級制覇に初めて挑んでから22年。「本当のカムバックができました。3階級取ったぞ!」。一族の悲願をかなえ、絶叫した。

 ボクシング人生を懸けて、8度防衛中の安定王者に向き合った。攻め続けるレベコの動きを、ジャブの連打で止める。素早く足を入れ替えるフェイントでも、揺さぶった。「相手をリズムに乗せたくなかった」。8回には右ストレートを決めて流れをつかみ、2-0の接戦をものにした。

 すべては、あの屈辱から始まった。昨年5月。IBFフライ級王者アムナトに敗れ初黒星を喫した。リング上で、立ちつくす父一法会長に「ごめん…」とつぶやいた。返事は「ええよ」のひと言。弘樹氏の挑戦も見守ってきた父は、グッと悔しさをこらえていた。

 井岡は言う。「結果で応えられなくて、ごめんという気持ちでした。歯がゆかった」。日記にも「思い描いてるボクシング人生が崩れた」と書き込み、悩んだ。眠れない日も続いた。だが、そこで終われなかった。3月の合宿では高地トレーニング効果がある特殊マスクをつけ砂浜を走り込んだ。47戦無敗のメイウェザーら名選手のビデオも何度も見た。前傾が深めの構えも試し、パンチ力向上を図った。相手正面に立たない防御も繰り返した。

 すべてを見直し、進化するために手を尽くし、再び栄光をつかんだ。「井岡家に生まれて来て、ずっとサラブレッドと言われた。でも、負けてから、積み重ねてきたものが音をたてるように崩れた。そっから本当の地方馬になって、3階級制すことができた」。鮮やかなKOや、大差判定でもなかった。だが、どん底からはい上がった今の井岡には、泥臭く必死につかんだ勝利こそふさわしかった。

 幼少時代は叔父にあこがれ、上半身裸になってパンチを打つマネをした。3階級制覇に4度挑んで全敗した弘樹氏に、ボクサーとしての生きざまを見た。ついに一族の無念を晴らし、夢も膨らむ。陣営は、観戦に訪れたアムナトとの2団体統一戦も視野に入れる。「この階級で十分戦えることを証明できた。自分がつかみとりたい夢は、何が何でも、何を代償にしても挑戦し続けて、真っすぐ真っすぐ生きていく」。輝きを取り戻した井岡は、休まず戦い続ける。【木村有三】

 ◆井岡一翔(いおか・かずと)1989年(平元)3月24日、大阪・堺市生まれ。大阪・興国高では史上3人目の高校6冠に。08年に東農大を中退してプロ転向。7戦目で世界王座を獲得し、当時の国内最速記録を樹立。12年6月には、WBA、WBCミニマム級王座を統一し、日本人初の2団体王者となる。同12月にはWBA世界ライトフライ級王座を獲得。165センチの右ボクサーファイター。得意パンチは左フック。家族は両親と弟2人。

 ◆世界最速3階級制覇 井岡の18戦目は、ジェフ・フェネク(オーストラリア)の20戦目を上回る世界最速。フェネクは85年4月に7戦目でIBFバンタム、87年5月に16戦目でWBCスーパーバンタム、88年3月に20戦目でWBCフェザー級王座を獲得。日本人の3階級制覇は、25戦目の亀田興毅(WBAライトフライ、WBCフライ、WBAバンタム)に続き2人目。