新日本プロレスのエース棚橋弘至(38)が中邑真輔(35)とのライバル対決を制し、07年以来2度目のG1クライマックス制覇を果たした。30分を超す大激闘に、6度目のハイフライフローで終止符を打った。賞金1000万円と、来年1月4日の東京ドーム大会でのIWGPヘビー級選手権挑戦権を獲得。新日本のシングルNO・1を決める伝統ある大会は、「100年に1人の逸材」こと棚橋が締めくくった。

 不死鳥のように、棚橋が宙に舞った。コーナー上でのエルボーの打ち合いから、体を預けるようなハイフライフローで中邑をマットにたたきつける。そのまま決めにいったドラゴンスープレックスをカウント2で返されると、再びコーナーポストからハイフライフロー2連発。この日6度目の大技で試合を決めた。

 「とうとう8年ぶりに夏を極めました。シリーズが長く勝負がきつかった分、充実感がすごい」と、32分15秒の試合後インタビューで棚橋はかみしめるように話した。

 史上最長の28日間、19大会を締めるにふさわしい戦いだった。過去の対戦成績は棚橋の8勝7敗1分け。互いの必殺技を出しても決着がつかなかった。棚橋の2回連続のハイフライフローを中邑が返せば、棚橋もボマイェ、腕固めを耐え抜いた。2人が大の字に倒れ込むと、会場は両者への応援コールに包まれた。試合が決まると、多数の女性ファンが涙を流していた。

 棚橋は優勝セレモニーが終わると、いつものようにファンサービスを行った。エアギターのパフォーマンスの後には、優勝旗を振り回して、勢い余って旗棒を折ってしまい観客をあぜんとさせた。そんな交流を大切にして、両国に超満員の観客を集めた。「本音を言うと、お客さんにはずっと帰ってほしくなかった。いつまでもあの空間にいたいと思った。さお(旗棒)は折ったけど、心は折れなかったということで」と苦笑しながら話した。

 07年、初めてG1のトロフィーを抱いた時は、新日本がどん底の時期だった。優勝後に「もう1度、自分たちの力で、プロレスを爆発させます」と誓った。その時のファンとの約束を、棚橋は地道な努力で団体の先頭に立ち、実現させた。今回の観客動員数は、19大会で7万413人を数えた。93年両国7連戦(7万6700人)以来の7万人超え。2日の名古屋大会以降は11大会連続満員以上となった。社長当時にG1をつくった坂口征二相談役は「25年見てきたけど、今年はかつての全盛期以上。棚橋の努力が報われたね」とうれしそうに話していた。

 真夏の祭典でエース復権を果たした棚橋は「G1という1カ月の期間に新日本の中心に戻りました。誰が何と言おうと、オレが中心にいた方が、新日本は面白い」。16年の1・4東京ドーム大会に向けて、棚橋が動きだす。【桝田朗】

 ◆棚橋弘至(たなはし・ひろし)1976年(昭51)11月13日生まれ、岐阜県大垣市出身。立命大から99年に新日本入団。同年10月にデビュー。06年7月にIWGPヘビー級王座獲得。07年8月のG1で初優勝。IWGPヘビー級は、通算最多防衛28回、連続防衛11回、最多戴冠7回の記録を持つ。181センチ、103キロ。得意技はハイフライフロー。ニックネームは100年に1人の逸材。

 ◆G1クライマックス 91年に始まった新日本のシングルNo.1を決める大会。25回目の今年は20人の選手がA、Bブロックに分かれ総当たりで対戦。両ブロック最高得点者が決勝を戦った。