元プロレスラーのアントニオ猪木氏(73)が、黒いマフラーで戦友ムハマド・アリ氏を悼んだ。猪木氏はアリ氏の訃報を受け4日、都内のホテルで急きょ会見を開いた。76年6月26日に格闘技世界一決定戦として戦った思い出を語り、故人をしのんだ。

 猪木氏は黒いスーツに黒のネクタイ、黒いマフラーを首にかけ、会見場に現れた。燃える闘魂のキャッチフレーズを表す赤いマフラーも、この日ばかりは控えた。「元気があれば、旅立ちもできる。アリの冥福を祈りたい」という、いつにない小さな声がショックを物語っていた。

 アリ氏は特別な存在、唯一無二の戦友だった。76年6月26日の日本武道館。格闘技世界一をかけて戦った。猪木氏33歳、アリ氏34歳のときだった。日本人の一レスラーが世界で最も強いボクシングのヘビー級王者に挑戦した。誰もが実現不可能と思った猪木氏の挑戦を、アリ氏は受け入れた。

 ボクシング世界王者のプライドと権威を守るため、2人の対決は、試合直前までルール設定などでもめにもめた。試合内容は不評を買ったが、それでもリングで実際に戦った2人に友情が芽生えた。「試合後、アリの結婚式に呼ばれ、そこで『お互いあれで良かったよな』と言われた。『あんなに怖い試合はなかった』とも言われた。私も引き分けでよかったと思う」としみじみと話した。

 アリ氏が戦った相手で、その後も親交を続けたのは猪木氏ぐらい。入場テーマ曲「イノキ・ボンバ・イエ」をプレゼントされ、アリ氏の世界戦に招待された。95年には猪木氏が北朝鮮で開催した平和の祭典に招待。98年の引退試合で会ったのが最後となった。「アリと戦ったおかげで、猪木の名前が知れ渡った。政治でも、外交でもアリと戦った男として一目置かれた」と言う。

 猪木対アリ戦から40年がたち、今月26日は世界格闘技の日に制定された。「できれば26日まで生きていてほしかった。とにかく、お疲れさまでした」。26日には記念日制定を記念し、都内で船上パーティーを開く。そこにはアリ氏の親族を招待していた。【桝田朗】

 ◆猪木対アリ戦 1976年(昭51)6月26日、日本武道館で開催。試合は3分15回制で行われ、タックル、チョップ、投げ技、関節技などほとんどのプロレス技は禁止。猪木はリング上に尻もちをついた状態でアリと相対し、時折キックをアリの太ももに繰り出した。お互いに決定打もなく15回を終了し、判定は引き分け。一般発売されない特別関係者席は30万円、特別リングサイドが10万円、リングサイドが8万円と、高額チケットで入場した観客は収まりがつかず、リング内に物を投げ入れたり、罵声が飛び交った。中継テレビNET(現テレビ朝日)の視聴率は、38・8%を記録。また、その後の総合格闘技の興隆にも大きな影響を与えた。