プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月12日付紙面を振り返ります。2007年の1面(東京版)では、ボクシング亀田大毅が内藤大助に前代未聞の反則負けで敗れたことを伝えています。

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<WBC世界フライ級選手権12回戦>◇2007年10月11日◇東京・有明コロシアム◇観衆6000人

 WBC世界フライ級14位の亀田大毅(18=協栄)が、お粗末な反則行為で世界初挑戦を台無しにした。同級王者の内藤大助(33=宮田)に序盤からキャリアの差を見せつけられ、自慢の強打は空転。劣勢の中で迎えた最終12回には度重なるレスリング行為で前代未聞の減点3を受けた。2人のジャッジが10ポイント差をつける0―3の大差判定負けで、デビューからの連勝も10(7KO)でストップ。亀田兄弟初の黒星となった。内藤は33歳1カ月の日本人最年長防衛記録でV1に成功した。

 最後はボクシングではなかった。最終12回、敗色濃厚の大毅は、内藤に猛進して押し倒した。すぐにレフェリーから減点1を通告された。だが、我を失った18歳に歯止めは利かない。今度は内藤をレスリング技のように抱え上げ、投げ落とした。さらに減点2が追加され計減点3。まるで試合を捨てるかのような暴走行為に、場内からブーイングが巻き起こった。

 予兆があった。8回終了後に公開された途中採点で、2人のジャッジが6ポイント差で王者を支持していた。9回にはもつれて倒れたところを、内藤から反則パンチを浴びた。焦りと怒りが入り交じり、最終回についに切れた。最後に若さを露呈した。最大10ポイント差がつく大差判定負け。試合後は会見を拒否して、ノーコメントで会場を立ち去った。

 試合も完敗だった。大毅の3倍のキャリアを誇る内藤の、変則的な動きにパンチを当てることができなかった。多彩なパンチを繰り出す王者に対し、ガードを固めて前進し、左フックを振り回すだけだった。試合後、協栄ジムの金平会長も「レフェリングとジャッジは公正。今日の負けは仕方ない」と完敗を認めた。

 真価が問われる試合だった。大毅は昨年2月のプロデビューから10連勝(7KO)。圧倒的な強さで白星を重ねていたが、対戦相手は実力不明な外国人選手ばかりだった。一部のファンからは「本当に強いのか」という批判が根強かった。日本と東洋王座を制し、世界タイトルを獲得した内藤に勝って、そんな批判を一掃するつもりだったが、まだ世界の力は備わってはいなかった。

 15歳も年上の王者を「ゴキブリ」と見下し、前日10日の調印式では「負けたら切腹するよ」とまで宣言した。相手を口汚くののしる挑発発言は、世間の反発も買った。この日の試合では入場から会場にはブーイングが起きた。試合後、場内からは「切腹しろ」などの罵声(ばせい)が飛んだ。これまでの常識外れの言動への反動だった。

 亀田兄弟の不敗神話も途切れた。長男興毅と合わせて27戦目でプロ初黒星。父史郎トレーナーは会場を引き揚げた後「この悔しさをバネにして頑張るしかない。大毅は一から出直しや」とコメントを出した。大毅はまだ18歳。この日も絶対に倒れない体の強さ、一発のパンチの重さなど高い能力は見せた。汚名返上するためにも、このまま終わるわけにはいかない。

 ◆亀田大毅語録

 「誰でもかかってこいやーっという感じ」(05年6月3日)プロデビュー前にWBA世界スーパーフライ級4位(当時)のプロスパー松浦とのスパーリングで27連打を浴びせて。

 「オレは現代に舞い降りた弁慶や。初代は日本で終わったけど2代目は世界やで」(06年1月6日)キャッチフレーズの「浪速の弁慶」にちなみ、武蔵坊弁慶の生誕地の和歌山・田辺市を訪問して。

 「デビュー戦は44秒以内に決めたる。兄ちゃんとの違い? パンチ力や」(同12日)デビュー戦の日程が決まり、兄のデビュー戦KO記録1回44秒を意識。

 「一番自信のある曲にした。うまかったやろ?」(同2月26日)デビュー戦でタイのサマートに1回23秒KO勝ち。試合後リング上でハウンドドッグの「Only Love」熱唱。

 「右は全然出してへん。出すまでもない。世界までは左だけ。オレの拳はヘビー級」(同8月20日)プロ5戦目で、パエスに1回1分45秒KO勝ち。

 「オレのパンチが世界に通用するのが分かった。記録は意識していないが、レベルが違うからな」(07年2月23日)WBA世界ライトフライ級4位タフミルにKO勝ちし、日本史上最年少での世界奪取へ前進。

 「ゴキブリに分析もくそもあるか。ゴキブリ退治、ゴキブリホイホイや」(同8月16日)世界王者内藤への挑戦の正式発表会見で相手を挑発。

 「負けたら切腹するよ」(同10月10日)王者内藤との世界戦の調印式で宣言。

※記録と表記は当時のもの