元プロレスラーの永源遥さんが28日、東京都内で死去した。70歳だった。

 石川県出身。木村政雄(ラッシャー木村)に誘われ、66年に20歳で大相撲立浪部屋から東京プロレスに入門。同年10月に木村戦でデビュー。東京-日本-新日本-ジャパン-全日本-ノアと主要6団体を渡り歩いた。

 全日本では89年から井上、渕、大熊らと「悪役商会」を結成。90年代にジャイアント馬場らの「ファミリー軍団」と抗争を展開し、人気者になった。

 「つば攻撃」が代名詞で、永源の客席へのつば吐きに対して観客が新聞紙で防御する光景が名物になった。コミカルなファイトでファンの支持を得た。百田光雄とは永遠のライバルで100戦以上もシングルで対戦した。

 06年に60歳で現役引退するまでシングル王座獲得は1度もなく、トップ戦線に絡まない前座レスラーだったが、昭和を代表する名脇役の1人だった。

 スポーツ界、政界などに幅広い人脈を持ち、引退後もノアの営業部長、相談役などの立場で興行を陰から支えた。