「負けてからが人間勝負ですよ」。

 9月に30歳を迎えた「かつての」KOキングは、大きな納得を込めて言った。

 3回KO勝利でついに初戴冠を遂げたライト級王者土屋修平(角海老宝石)。

 09年デビューした元キックボクサーは、8戦全勝、すべてが2回以内KOで全日本新人王に。当然のMVPは相手の右あごを骨折させる衝撃も加わり、輝く未来を約束されたようだった。続けた12連続KOで、一気に日本の頂は見え、その先に世界の頂きも期待されるカウンター巧者となった。

 「でも、引き出しの少なさは分かっていた。ボクシングを知らなかった」。有頂天にはならず、いつかの敗戦を予期するような実感は消せなかった。豪快さと謙虚さの表裏一体が止まったのは、プロ15戦目。9回TKO負けすると、続く試合も3回KO負け。「一気に落ちましたね」。

 ただ、底はそこではない。再起が懸かった14年4月、オーストラリアでのWBOオリエンタルスーパーライト級王座決定戦だった。昨年結婚した奥さんに「結婚しようよ」とプロポーズして渡航した試合で10回TKO負け。まさにどん底。ただ、そこで同時に「30歳までボクシングを続けているとは思わなかった」と感慨深くいま言わせる、忘れえぬ快感に出合う。

 「すんごく盛り上がったんですね。負けても評価されるボクシングがある。最高だなと」。

 無敗ロードを突っ走って、余儀なくされた急ブレーキの衝撃に心身を痛めた男は、どん底に光を見た。

 再起へ。「カウンター一辺倒から、どんな形でもダメージを与えられるように」「1発で仕留められなくても問題ない。倒したいですけど、だんだんと削ってつぶしていけばいい」。KOへの執着はないわけではない。ただ、技術の引き出しが増えていくのが楽しかった。そして「まだ何も成し遂げていない」と一番を目指した。小学校のかけっこでも空手でも、キックボクシングでも一番にはなれなかった。だから、やめなかった。

 この日は、プロ7年目でようやく巡ってきた日本タイトルのチャンスに、さすがに初回の体は硬い。軽快な足取りで頻繁にスイッチする目下8連勝中の野口将志(27=船橋ドラゴン)の変則に、付き合わされた。「対策してきた以上のものはなかった」。想定内でも被弾したのは、まったく自己問題。だから2回からは打ち終わりに右カウンターで顔をゆがませ、野口の軽やかさを殺していった。右ストレートでダウンを奪うと、3回には重い足取りになった元市船橋高バスケットボール部員を仕留め、カウント8でコーナーポストに駆け上がり、10カウントに雄たけびをあげた。

 「長かった。苦しかった…」とリング上で号泣した「山あり谷あり」だった男は、控室に集まった多くの報道陣を見て、「5年ぶりのこの感じです」と照れ気味に歓迎した。言いたいことだらけといった様子に、「これだけですか。久々なんで」と質問数に笑顔の要求もしたが、必ず言いたいことは決まっていた。

 「負けたら価値が下がるというわけじゃない。それを後輩たちに伝えたい」。

 駆け上がる勢いとその高さが高いほど、転落の衝撃は大きい。はい上がるには覚悟がいる。それだけ大きな光も必要だ。それを敗戦の中で見つけることがきた。それを知ってほしい。

 デビュー時から変わらないことがある。トランクスに書かれた「Take it Easy」の文字。「気楽に行こう」の真意は「あんまり考えすぎても良い方にいかないかなと思っていて。こんだけ練習したんだから緊張せずに、楽しめればいいと」。はき続けて26戦目。「全然、気楽じゃないときもあった」元KOキング。負けてからが勝負だった。そしてこの日、ついに勝った。【阿部健吾】