「蹴る」から「殴る」へ。ピッチからリングへ。

 1人の元なでしこリーガーが3月15日、東京・後楽園ホールで女子プロボクサーとしてのデビュー戦を迎えることになった。佐山万里菜は、29歳にしてボクシング経験は約1年。ワタナベジムで第2のアスリート人生を歩み出す前、13年まではサッカーこそが人生のすべてだった。

 なでしこジャパン元主将の宮間あや、そしてその父文夫さんが監督を務めていたフッチボールsufeで、男子にも混じってボールを追っていた小学校、中学校時代。千葉県選抜の15歳以下代表に選ばれたスタミナが売りのサイドバックは、高校は名門の常盤木学園高に進学。鮫島彩が同学年におり、1つ下には田中明日菜がいた。全国大会では3年連続の準優勝。東京女子大で大学選抜などの実績を残し、11年からなでしこリーガーになった。チャレンジリーグの清水第八プレアデスから移籍したAC長野パルセイロでは3季を過ごした。

 「一緒にサッカーをやっていた仲間が世界一になった」。11年W杯で優勝したなでしこジャパンは、日本中になでしこブームを起こした。その中心に近いところにはいた佐山。しかし、故障などを理由にかつての仲間たちとの距離は開いた。「世界一の景色ってどんななんだろう」。憧憬(しょうけい)はただのあこがれではない。身近だったからこそ、挑戦心がうずいた。

 その時、好きで見ていたボクシングが頭に浮かんだ。「直感で入りました」。13年まででサッカー選手の引退を決め、バイト生活で社会経験を積んでいた佐山が、インターネットで「ワタナベジム」を検索したのは昨年3月のこと。「どうせならまったく逆の世界でやりたかった。ゼロから世界一になりたかった」。使うのは足から手へ。「自分しかリングに立てない。調子が悪くても交代はない」。それが魅力に映った。サッカー選手時代から攻撃精神も武器だった。長野の監督からは「殺し屋の目をしなくても大丈夫だから」が口癖。闘争心を前面に押し出すスタイルは、格闘技向きだと自負もある。

 いまも親交厚い鮫島、田中は試合当日の観戦は厳しいが、激励の言葉は多く届く。デビュー戦では「SAYAMA」と背中に書かれた長野のユニホーム姿で入場する。30歳を目前に控えての新たな舞台。「勝つのは当たり前で、通過点。たくさん勝っていきたい」。仲間と同じ、そして自分だけの世界の頂きへと登り始める。