不安、焦り、使命感-。ロンドン五輪金メダリストとして、誰もがなしえなかった頂点に達した村田諒太(31=帝拳)。プロ転向してから世界王者になるまでの1654日間。誰も歩んだことがない道のりのなかで恐怖と闘い続けた日々を、本人の証言で振り返る。いかにして、村田は己との闘いに勝ったのか。

 華々しい未来のはずだった。13年4月12日、村田は都内ホテルの「ゴールデンの間」でプロ転向会見。「自分にできないと思っていない。できるものだと思って挑戦します」。不安は皆無、自信と希望だけが満ちているように思えたが…。

 同年8月23日、プロデビュー戦を2日後に控え、父誠二さんに電話をかけた。「いってくるよ」。たわいもない報告のはずが、涙が止まらなくなった。「怖い」。アマとは違いヘッドギアがない、グローブも薄い、それが恐怖となったのか。いや、違った。

 「自分を失う怖さ。金メダリストの自分が、あさって、壊れてしまうのではないか。負けることはアイデンティティー(存在価値)をなくすことだった」

 東洋太平洋ミドル級王者柴田に2回TKOで圧勝したが、これが逆に迷路につながった。「評価が先にぐっといった。実力と存在が不一致になっていった」。

 だから背伸びした。アマ時代とは違い、足を使い、よける。アッパー、フックも習得しなければ。焦った。それが流転を招く。

 「これは体に悪いし、早くやめたいな…」

 14年夏、米ラスベガスのジムの一角で、自問自答を繰り返した。180センチ、70キロほどの欧米人の平均的体格に近いミドル級。層の厚さを象徴するように、世界的な興行会社トップ・ランクのジムに集う有名無名の選手たちに、米国合宿中のプライドは切り裂かれた。

 「調子が悪くてばかばか打たれた時は、体と相談してリアルにもうだめかもしれんと思った。パンチをもらうというのはきつい」

 アマで世界一をつかんだスタイルは、堅いガードを軸にした前進、強打。その大前提の守備が崩壊した。

 極まったのが15年11月、米国デビューとなったプロ8戦目のジャクソン戦。守備を固める相手を崩せない。10回判定勝ち。本場での体たらくに、リング上で「ワースト(最悪)」とはき捨てた。試合後の狭い控室、「他の五輪金メダリストに申し訳ない」とコメントを残すと、部屋の隅に椅子を置いた。黒いタオルを頭からかぶり、涙がこぼれた。

 ただ、「最悪」の経験がトンネルを抜けるきっかけにもなった。この頃、田中トレーナーとのコンビが始まった。迷いを見かねて「どの時が一番調子が良かった?」と聞かれると、「世界選手権です」と返した。銀メダルで自信をつかんだ11年大会。映像を2人で見入った。原点回帰だった。

 何げない会話にも気づかされた。知人のラグビー女子代表選手が進退を悩んでいた。「村田さんはどうやってモチベーションを保っているんですか?」。答えを探す。「ああ、逃げ道はない」。そう思った。「保つも保たないもなくて、僕にはチョイスはなかった。それがプロ。今ぐらい稼ごうと思ったらボクシング以外にあり得ない。周りから支えてもらい、さようならはできない」。

 情けない姿をさらそうが、進むしかない。試合を組むネックになっていると感じると、ファイトマネーを半額にする提案までした。そして、年が明けた16年。道は照らされていった。4戦全勝4KO。世界戦への距離を詰めた。

 村田が戦ってきたものは、ずっとアイデンティティー喪失の怖さだった。背伸びし、逃げ道を探した。父からは、折に触れて言葉が届いた。その一節にはこうあった。

 「焦れば溺れる。頭は勝手者。余計な勘定をする。今で完璧だよ。今の存在に身を任せ、ゆったり、浮いていれば、大海につく」

 他人がどう考えるか、どう見るかは操作できない。自分のできることに集中する。そう諭された。愛読する哲学者アドラーの理論「課題の分離」に通じた。

 エンダムとの第1戦の“誤審”の直後、「結果は結果。僕自身がどう受け止めたかではない。第三者の判断が全て」が第一声だった。複雑に気持ちが入り乱れる中でも、ぶれなかった。「理論を実践できた。わが事ながら自分を褒めてあげたい」。精神面にも自信はできた。

 今、1つの戦う理由がある。「怖いけど、その先に見えることがあるのを子どもに教えたい。恐怖を超えていく強さ、それを求めたい」。自分が父に救われたように、いつか子供を救ってあげられるように、戦い抜くと誓った。

 そしてついに-。「このベルトは息子に見せたいですね」。試合後にそう表情を崩した。プロ宣言から1654日、4年に及ぶ苦難を越えた右拳には、恐怖に打ち勝った証しとなる黒いベルトが握られていた。【阿部健吾】

 ◆5月の王座決定戦VTR 村田がガードを固め、前に圧力をかけ、好機に右ストレートを狙った。対するエンダムは周回しながら手数を多く出す展開が初回から続く。4回には村田が右ストレートでダウンを奪う。以降も展開は変わらず、エンダムがぐらつく場面も多かったが、判定は1-2(117-110、111-116、112-115)。手数を優勢とした結果に終わると、国内外で判定への批判が噴出。WBAのメンドサ会長が誤審を認め、後にエンダム支持のジャッジ2人は6カ月の資格停止処分となった。交渉の末、8月にダイレクトリマッチ(直接再戦)が決まった。