IBF世界スーパーバンタム級王者岩佐亮佑(28=セレス)が、V2失敗で王座から陥落した。初回に同級1位TJ・ドヘニー(31=アイルランド)の右ほおをカットさせたが、その後は左カウンターをもらい、手数でも劣った。11回のチャンスも攻めきれず、0-3で判定負けした。鬼門といわれたサウスポー相手に初の指名試合をクリアできなかった。これで日本人の男子世界王者は5人となった。

 岩佐がポイントで劣勢とみて、小林会長は8回から「倒さないと勝てない」とゲキ。チャンスが11回に来た。左ストレートから連打。相手はぐらついたが、クリンチに両者がもつれてスリップダウン。結局は「ごまかされて」ダウンも奪えず。最終ゴング後に相手は肩車されたが、岩佐は「負けたと思った」とイスに座り込んだ。

 滑り出しはよかった。初回にパンチで右ほおから流血させた。それが2回以降は守勢で手数も出なくなった。プレスをかけてくる予想が外れ、距離をとられ、左カウンターを浴びた。右ジャブから攻める作戦も駆け引きで、引き込まれた。

 「ガンガンくると思った。距離が遠く、ジャブが当たらず、単調になった。予想以上にうまかった」。岩佐は脱帽するしかなかった。サウスポーにはプロで4勝2敗も、黒星は世界王者になった山中と世界初挑戦で喫したもの。習志野高では高校3冠も残る3大会は同じサウスポーに決勝で負けた。大一番では左に負け、またしてもだった。

 6月にジムが同じ柏市内で移転した。窓のない半地下1階から、3面窓の2階で広さも明るさも増し、クーラーも入った。「最高の環境で最高の練習ができた」と感謝していたが、新たな門出を飾れなかった。

 小林会長も世界再挑戦で王座につき、V2戦で全勝相手に負け陥落した。03年にジムを開くと、入門してきたのが中2の岩佐だった。あれから15年の雪辱を期したが、愛弟子も壁を越えられなかった。

 小林会長は「中盤から倒しにいく覚悟がほしかった。打ち込む勇気がなかった。ずっと課題だった」と話した。岩佐は「大きな壁だった。ショックもこれが現実で実力不足。今はまた頑張ろうとは…。考えたい」。引退も考えざるを得ない内容だった。【河合香】

 ◆岩佐亮佑(いわさ・りょうすけ)1989年(平元)12月26日、千葉・柏生まれ。地元でセレスジム開設に中2で入門。習志野高3年で3冠。アマ戦績60勝(42KO)6敗。08年プロデビュー。11年に日本バンタム級王者山中に挑戦も失敗。2戦後に日本同級王座、13年に東洋太平洋同級王座獲得。15年に英国でIBF世界同級暫定王座決定戦での世界初挑戦は失敗。昨年9月にIBF世界スーパーバンタム級王者小国を破り王座獲得。171・5センチの左ボクサーファイター。家族は両親と姉。