今日15日に没後55年を迎えた故力道山(享年39)。力道山は63年12月15日に、暴力団員に腹部を刺されたことがもとで死去。わずか3年半の付け人生活から、アントニオ猪木氏(75=参院議員)は師匠の思いを継ぎ、その後の成功につなげた。

「猪木さんはすぐ主人に呼ばれるタイプ。弟子というか自分の息子みたいにかわいがっていました」と力道山夫人だった田中敬子さん(77)は懐かしむ。力道山は「おい、アゴを呼べ」と、よく敬子さんに声をかけた。

力道山が暴力団員に刺された63年12月8日のお昼ごろ、猪木氏は呼ばれた。その日は、力道山の仲介で成功した前年の大相撲ハワイ巡業のお礼に、元横綱前田山の高砂親方らが訪れていた。その親方衆に「こいつはブラジルから来たんだ。いい顔してるだろう」と紹介したという。

当時、プロ野球巨人を経て入門したジャイアント馬場に比べ、猪木氏は線が細かった。そこで力道山は、猪木氏を2年間、相撲部屋へ預ける計画を立て、親方衆に紹介したのだ。敬子さんによると「相撲部屋ではしっかり食べさせてくれるから大きくなる。うちの会社じゃ無理だから。それから米国修業に出す」と話していたという。

猪木氏は付け人として、ほかの弟子は呼ばれない合宿所2階の事務所にもよく呼びだされた。力道山が会社の事務処理をする間、ずっと肩をもまされていた。「そうやって、自分の仕事を全部、猪木さんに見せていたんです」。力道山ならではの英才教育だった。