熊殺しの異名をとった米国人空手家ウィリー・ウィリアムスさんが死去した。67歳だった。80年にアントニオ猪木氏(76)と格闘技世界一決定戦で激突。空手対プロレスの「世界一」をかけた戦いは、両陣営に不穏な空気が漂うほど、緊迫した雰囲気に包まれた。日刊スポーツでは猪木氏の取材をもとに当時の激闘を06年10月27日付紙面で掲載。復刻版として振り返る。

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80年(昭55)2月27日、東京・蔵前国技館で極真空手のウィリー・ウィリアムスとの一騎打ちが決定した。極真空手は梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」、映画「地上最強のカラテ」で、格闘技ファンの圧倒的な支持を受けていた。その映画の中でウィリーは245センチ、130キロの熊と戦い勝利を収めていた。プロレス界に「猪木危うし」の声が広がった。

極真サイドは「ウィリーのパンチ一発で猪木は死ぬ」「猪木のアリキックは子供だまし」と挑発を重ねた。これに対して新日本サイドが謝罪を要求するなど、遺恨を残したまま決戦を迎えた。

猪木 アリ戦以上に両陣営に不穏な空気が漂っていてね。試合前には誰かがオレを狙っているなんてうわさもあった。

リングの周囲を新日本と極真空手の関係者が取り囲む異様な雰囲気の中でゴングが鳴った。

1回、ウィリアムスのショートパンチが猪木の頭部を襲った。猪木はアリキックで応戦した。2回に2人は折り重なって場外に転落。いったんは両者リングアウトで決着しかけたが、立会人の梶原一騎氏とレフェリーの協議の結果、試合続行が決まった。

4回、猪木はウィリーに腕ひしぎ逆十字固めを掛けたまま再びリング下に転落した。ここで両陣営のセコンドが乱入。大混乱のまま、4回4分24秒、両者リングアウトの引き分け裁定が下った。猪木はあばら骨にひびが入り、ウィリーは左腕じん帯損傷のけがを負った。後味の悪い結末。猪木はこの一戦を最後に異種格闘技戦を封印した。