ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。

八重樫は「本日、9月1日をもちまして、引退することを決意しました。たくさんの応援をしていただき、一生懸命、プロボクシングができたことを誇りに思います。ありがとうございました」とあいさつ。思い出の試合に、WBC世界フライ級王者時代のローマン・ゴンサレス戦をあげ、「常に前を向いて、今日よりも明日がいい日になればいいと進んできたので、後悔はない。15年間、一生懸命走ってきたつもり。人間なので転ぶ時もあれば、休む時もあったが、それでいいと思っている。100メートル走ではなく、マラソン。今日、こうやって完走できてうれしく思う」と山あり谷ありの現役生活を振り返った。

ファンに対しては「7回も負けて、勝ったり負けたりの僕のような選手をいつも支えてくれた。その応援がなければここまで続けてくることはできなかった。幸せな環境でボクシングができた」と感謝の思いを口にした。

同席した大橋秀行会長は「2004年9月1日に大橋ジムに入ってきて、ついにこの日が来てしまいました。中身の濃い15年間だったと思う。3階級制覇という結果以上に八重樫のボクシングの姿勢。井上尚弥らがその背中を見て、大切なものを教わったと思っている。第2の八重樫をどんどん出していきたいと思う」と労をねぎらった。今後は大橋ジムのトレーナーやパーソナルトレーナーなどで、ボクシングに携わっていくという。

大橋会長は「トレーニングも、食事も減量もいろんなものを試し、研究してきたから3階級王者になれた。日本一の知識があるボクサーだと思う。精神面はもちろん、科学的な部分も後輩たちに教えていってもらいたい」と期待を込めた。

八重樫は、岩手・黒沢尻工でボクシングを始め、3年時にインターハイで優勝。進学した拓大2年で国体優勝を果たすと、05年3月に大橋ジムからプロデビューした。

フットワークとハンドスピードを武器に、06年4月には東洋太平洋ミニマム級王座に挑戦。当時日本最速タイ記録となるプロ5戦目での王座獲得に成功した。07年6月、7戦目でWBC世界同級王者イーグル京和に挑戦も、0-3の判定負けを喫し、プロ初黒星。次の世界挑戦まで4年の歳月を要したが、その間に日本王座を獲得し、3度防衛を果たすなど、地道な努力を重ね、チャンスを待った。

11年10月に、WBA同級王者ポンサワンを相手に2度目の世界挑戦。10回TKO勝利を収め、王座獲得を果たした。初防衛戦ではWBC同級王者・井岡一翔と、「日本初の2団体世界王座統一戦」で激突。壮絶な打ち合いの末に敗れたものの、世界から高い評価を受け、人気選手の仲間入りを果たした。

13年にはWBC世界フライ級王者・五十嵐俊幸を下し、2階級制覇を達成。V4戦で、「軽量級最強」ローマン・ゴンサレスに敗れるまで、3度の防衛に成功した。15年には1階級下のIBF世界ライトフライ級王座を獲得し、日本人男子3人目の3階級制覇を達成。「激闘王」の異名通り、逃げない姿勢と、被弾覚悟の激しい試合でファンの心をつかみ、長く世界のトップで戦い続けてきた。

19年12月、2年半ぶりの世界挑戦のチャンスをつかんだが、IBF世界フライ級王者ムザラネに9回TKO負け。その試合が、現役最後の試合となった。

戦績は35戦28勝(16KO)7敗。

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。