<ノア:東京大会>◇22日◇東京・後楽園ホール◇観衆2100人

 「プロレスの聖地」が三沢一色に染まった。ノアのシリーズ最終戦、後楽園大会が22日、東京・後楽園ホールで行われた。13日の広島大会の試合で亡くなった社長兼エースの三沢光晴さん(享年46)の死後初の首都圏開催は2100人の超満員。試合開始前から三沢コールに包まれ、メーンイベント終了後、リングは観客の投げ込んだ三沢カラーのエメラルドグリーンの紙テープで埋まった。試合後、三沢さんの盟友、小橋建太(42)が事故後初めて公の場で口を開き「三沢さんのプロレス道を引き継いで、前に行く」と力強く誓った。

 三沢のいない聖地に、三沢コールがこだました。全試合終了後、会場に三沢さんの入場曲「スパルタンX」が流れた。超満員の場内が「三沢!」の絶叫に包まれ、エメラルドグリーンの無数の紙テープがリングに投げ入れられた。名前のコールが手拍子に変わる。いつの間にかリングが三沢色に染まった。観客は誰も席を立とうとしなかった。聖地に戻ってきた三沢さんの魂に向かい、熱く、長かった戦いの人生に感謝し、ねぎらった。

 三沢さんへのファンの鎮魂の思いに、沈み切っていた小橋の心も動いた。この日のファンの歓声は、残った選手への激励でもあった。先輩で宿敵で同志だった三沢さんの死後、ショックからずっと口を閉ざしてきたが、試合後ついに口を開いた。

 小橋

 いつも目標で、大きな存在だった。試合でいけるところまでいけると思える人だった。学んだことは多すぎて、ここでは語れない。三沢さんのプロレス道を受け継いで、まい進していかないといけない。

 後楽園ホールは「プロレスの聖地」と呼ばれる。三沢さんにとっても特別な場所だった。90年5月、タイガーマスクから素顔に戻って、初めて立ったリングが後楽園だった。つまり三沢光晴の出発点。ノア旗揚げ後は同会場での試合を欠場したことはない。4日の今シリーズ開幕戦もここからスタートした。

 13日の広島大会で三沢さんがこの世を去って以来、初めて開催されるノアの首都圏興行だった。早朝からファンが押しかけた。前売り券はすでに完売していたが、250枚の立ち見席を求めて午前8時から長い列ができた。販売開始の午後4時40分の段階で、列は約300メートルまで延びた。開場後は場内の展示場に設けられた献花台が、1500にも及ぶ花束で埋まった。

 聖地に三沢さんの姿はなかった。しかし、選手もファンも、三沢さんの魂を感じていた。第1試合に登場したヒーローは、いつもの黒ではなく、エメラルドグリーンのタイツを着用した。三沢さんの最後の対戦相手、斎藤がリングでコールされると、会場は大歓声に包まれた。つらい十字架を背負って戦い続ける男を、ファンは故人にかわって激励した。

 聖地で選手とファンの心が1つになった。「三沢さんのためにも、前へ」。メーンイベントで勝利を収めた潮崎がリングで言った。「本当につらいことがありました。でも選手一丸となってもっと盛り上げていくしかない」。小橋は「自分は今も半分は信じられない。でも半分は現実を受け止めて、とにかく前に行かないと」。三沢さんの魂を乗せたノアの箱舟が、聖地から再び新たな旅に出た。【塩谷正人】