<新日本:G1クライマックス>◇最終日◇15日◇東京・両国国技館◇観衆1万1000人

 5月に全日本からフリーになった小島聡(39)が、9度目の挑戦でG1初制覇を果たした。後藤洋央紀(31)を破ってBブロックを1位突破。Aブロックを制した棚橋弘至(33)との優勝決定戦で、21分25秒、ラリアットからの片エビ固めでフォール勝ちした。6月の左ひじ手術を乗り越えてのビッグタイトル。G1創設の91年にデビューした男が、20回目の記念大会で頂点に立ち、新日本以外では初のG1覇者になった。

 こだわり続けた持ち技に、小島はすべてをかけた。不死身の腕で、自身初のG1をつかみ取った。棚橋との優勝決定戦。右腕をひねり上げられ、右ひじにダメージを負った。それでも、心は折れない。左腕のラリアットで返すと、痛めた右でもう1発。20分を超える激戦に終止符を打った。初出場から15年。9度目の出場で、初めて頂点に立った。「いろいろあったけど、今リングに立っていることがすべてだ!」。激闘の後遺症でよろけながら、リング上でマイクを握った。

 唯一無二の必殺技で、全6勝をつかんだ。生きざまが凝縮された戦いだった。決勝進出のかかった後藤戦。ラリアットを相打ちされながら、それでも右腕を振り続け、強引に3カウントを奪った。1日2試合の消耗戦も、「1戦目でいい具合に息が上がって、2戦目は最高に調子が良かった」と言ってのけた。

 激動の3カ月を思い起こせば、リングに立つことさえ快挙だった。「こんな奇跡、ねえだろう!

 2カ月前、プロレスさえできなかった男が勝つなんて」。5月で全日本との契約が切れ、フリー転身を決意した。退路を断って、吹っ切れてみたかった。リングがなく、練習は一般客もいるスポーツジム。若手に任せていた荷物運び、巡業での洗濯も、自分でやらなければならない。「今まで甘えがあった。初心に戻れました」とプラスにとらえた。

 6月には生命線の左ひじにメスを入れた。医師からは「全治3カ月、完全に治るまで1年」と言われながら、患部を痛めないよう負荷をかける加圧トレーニングを実行。通常の5倍の負荷を感じる締め方をした状態で、ベンチプレス100キロを挙げられるほどにパワーアップした。自信を回復したときに、G1出場のオファーが舞い込んだ。

 G1がスタートした91年にデビューした。「こんな年に優勝できるなんて運命を感じます」。第1回大会は全試合をリングサイドでセコンドとして見た。激しい試合の連続に、当時は試合を見るだけで精神的に消耗したという。そんな過酷な舞台で、20年のときを経て主役を張った。復活を遂げた男に休む暇はない。「真壁のベルト、取っちゃうぞバカヤロー!」。次なる狙いをIWGP王座に定めた。【森本隆】