新日本プロレスで活躍した元プロレスラーの星野勘太郎さん(本名・星野建夫)が25日、肺炎のため都内の病院で死去していた。67歳だった。09年2月に脳梗塞(こうそく)で倒れて入院生活を送っていたが、肺炎を併発して息を引き取った。

 星野さんは08年12月には昭和プロレス(後楽園ホール)に故山本小鉄さんとタッグで参戦。同年12月の新日本後楽園大会では、外道と対戦するなど還暦を過ぎても、リング内外で精力的に活動していたが、病魔には勝てなかった。名タッグ「ヤマハ・ブラザーズ」を組んだ故山本小鉄さんが8月28日に他界したばかり。その後を追うように、星野さんも天国に旅立った。

 ◆ヤマハ・ブラザーズ

 故山本小鉄さんと星野さんが結成していたコンビ名。身長が170センチの故山本さんと星野さんが67年1月に米国遠征に出たとき、ともに小柄な体ながらもスピードと技術をいかんなく発揮する悪役として活躍。当時、小型でもパワフルだと評判だった日本企業ヤマハのオートバイに例えられ、命名された。