<プロボクシング:世界スーパーバンタム級王座統一戦>◇13日(日本時間14日)◇米カリフォルニア州カーソン、ホーム・デポ・センター◇観衆7665人

 WBC世界スーパーバンタム級名誉王者西岡利晃(36=帝拳)が日本人初の大舞台で壮絶に散った。世界4階級制覇王者で、WBO同級王者ノニト・ドネア(29=フィリピン)のスピードの前に強打を封印され、勝負に出ようとした6回に左アッパーでダウン。9回には右ストレートで2度目のダウンを喫し、陣営の判断で同回1分54秒TKO負けした。04年3月のウィラポンへの世界挑戦以来の敗北。本人は進退について保留したが、引退し、地元の兵庫・尼崎で「西岡ジム」を開くことが有力になった。

 無情のゴングが響く。9回、ドネアの右ストレートでダウンを喫した西岡は、必死に立ち上がった。だがダメージを心配した陣営はレフェリーに試合ストップを要請。日本人初の海外でのビッグマッチも、未踏の地は遠かった。95年2月のデビュー2戦目以来のKO負け。リング上で観客席に謝罪する西岡の目には光るものがあった。

 序盤はドネアのスピードと強打の前に、手数が出ず、ブーイングを浴びた。6回から勝負に出たが、得意の左ストレートが届かない。逆に、パンチをかわした瞬間に左アッパーを食ってダウン。流れは変えられず、9回には右ジャブを打った瞬間に右ストレートを顔面にたたき込まれ、キャンバスに沈んだ。強打の有効打はドネアの111発に対し26発。完敗だった。

 「練習も試合も、やるだけのことはやった。でも今は悔しいだけ」。昨年10月の米ラスベガスでのV7後からドネアを標的にし、1月5日から対策を立てた。試合が決まらず、一時引退を決意したこともある。先月21日はスパーリング中に左腕を打撲。左足首にもテーピングもした。紆余(うよ)曲折を経て、この日を迎えていた。

 天才少年といわれた18歳デビュー時は「無敗のまま22歳で世界を取り、無敗のまま引退」の夢を掲げた。実際は4度の世界挑戦失敗、アキレスけん断裂と数々の挫折に見舞われた。「苦労しないですんなりいっていたら、ここまで来ていない」と西岡。帝拳ジムの本田会長も「これでもかというほど、ひどい目に遭った。人生は平等」と日本人初の大舞台にたどり着いたことを認めた。

 今後については「まだわからない」と話したが、本田会長は「引退です。それだけ、この試合に懸けてきたから。勝ってもやめていたと思う」と話した。引退後は、地元兵庫・尼崎で「西岡ジム」を開くことが既定路線。栄光と挫折は、指導者として、最高の財産になるに違いない。【米ロサンゼルス=田口潤】

 ◆西岡利晃(にしおか・としあき)1976年(昭51)7月25日、兵庫県加古川市生まれ。小学5年でJM加古川ジムに入門し、加古川南高3年の94年にプロデビュー。00年6月にWBC世界同級王者ウィラポンに挑戦も判定負け。同年に帝拳ジム移籍。スーパーバンタム級転向後の08年9月に日本人最多タイの5度目の世界挑戦でWBC世界同級暫定王座(その後正規王座に昇格)を獲得。169センチの左ボクサーファイター。