たたき上げの男が3度目の挑戦にして、鮮やかKOでついにベルトを奪い取った。WBA世界スーパーフライ級8位河野公平(32=ワタナベ)は4回に王者テーパリット・ゴーキャットジム(24)を圧倒。左フックを皮切りに右フックと連打で3度ダウンさせ、大番狂わせで4回2分8秒KO勝ち。日本人から3連続防衛中だった王者を打ちのめした。高3からボクシングを始めて15年目。進退をかけた大一番で悲願を達成した。

 左フックがさく裂した。日本人キラーの王者が前のめりに倒れる。「当てられたと思ったら倒れていた」。手数はあってもパンチ力がない河野も、この瞬間に火が付いた。「人生をかけていくしかない」と猛ラッシュ。右フックで2度目。さらに連打でロープにくぎ付けから3度目のダウン。ついに頂点に立った。

 リング上では涙を流しながら「負けたら死のうかと思っていた」と声を振り絞った。控室では開口一番「奇跡ですよ。奇跡」。自らも認める、まさに大番狂わせ。陣営は後半勝負の作戦。初回で王者の強打を肌で感じた河野は「最後までいったら倒される。最初から思いっきり。覚悟を決めた」と打ち勝った。

 2度目の世界戦から3連敗した。3戦目はホープに敗れて踏み台だった。河野も引退か悩み、練習以外は自宅に引きこもった。再起を期したが、渡辺会長は「思い出作り」に世界ランカー戦を組んだ。

 その勝利で「あり得ない」という3度目の挑戦が実現した。しかし、渋谷を歩いていて「まだ現役なんですか?」と声を掛けられた。「悔しかった。8、9割の人が負けると思っていたはず。何とか見返してやろう」。その一念が4回に爆発。文句のつけようのないスリーノックダウンでの勝利になった。

 東亜学園高では駅伝の補欠だった。高2の時に漫画「はじめの一歩」を読み、ボクシングに興味を持った。その後、偶然に本屋で「6カ月でプロボクサーになる!!」という本を見つけて決意した。陸上を続けながら、週4日ジムに通い出した。

 99年からはアマで全日本2位の新任だった高橋トレーナーについた。「特に何もない選手だった」と振り返る。河野も「下手くそで、どんくさい。パンチ力もないし」と認める。まさにたたき上げでついに栄光をつかんだ。

 ワタナベジムにとっては、のべ8度目の挑戦で2人目の世界王者誕生となった。最初の内山は元アマエリート。「勝っても際どい判定」と予想していた渡辺会長は「河野はゼロから教えた。うちらしい生え抜きのたたき上げだけにうれしい。2人目なんて夢のよう」と笑みがこぼれた。

 次の試合で勝利したWBC王者佐藤には、日本王座戦で負けている。亀田大も同級での2階級制覇を狙っている。ビッグマッチの夢が広がるが「今は考えられない」。15年目の喜びだけをかみしめていた。【河合香】

 ◆河野公平(こうの・こうへい)1980年(昭55)11月23日、東京・目黒区生まれ。東亜学園高3年にワタナベジム入門。00年11月プロデビューは判定負け。02年スーパーフライ級東日本新人王、07年同級で日本王座獲得(防衛2)、東洋太平洋王座も獲得(同1)で2冠。08年WBA世界同級王座決定戦で名城に1-2で判定負け。09年東洋太平洋王座を再獲得(同2)。10年WBC世界同級王座に挑戦し、ロハスに判定負け。167センチの右ファイター。家族は両親に兄と姉。