<プロボクシング:WBO世界バンタム級選手権12回戦>◇12日(日本時間13日)◇米ラスベガス・MGMグランド・ガーデンアリーナ◇観衆1万4239人

 王者・亀田和毅(23=亀田)が、ど派手に米国デビューを飾った。2度目の防衛戦で同級1位プンルアン・ソーシンユー(26=タイ)と対戦。7回に強烈な左ボディーを打ち込み、1分35秒、レフェリーストップによるTKOで勝利した。米国での日本人の世界王座防衛は11年の西岡利晃に続いて2人目。国内で試合が出来ない状況が続く中、23歳の誕生日に本場米国で「KAMEDA」の名を強烈にアピールした。戦績は30戦全勝(19KO)。

 名刺代わりの左ボディーで、和毅が「聖地」を沸かせた。7回、一気にギアを上げた。ゴングと同時に攻めに出ると、動きの止まったプンルアンの顔面に左アッパー。ガードが浮いた瞬間、無防備な脇腹にめり込むようなボディーを突き刺した。キャンバスに倒れ、もがき苦しむ挑戦者の姿にレフェリーがたまらずストップ。和毅はコーナーに駆け上がると、雄たけびとともに拳を突き上げた。

 「世界戦で初めて、それもラスベガスでのKO。今までで一番良い試合が出来たし、自信になった」。緊張から解放され、表情には充実感があふれ出た。

 「作戦通り」と、6回までは相手のスタミナを奪うためのアウトボクシングに徹した。4回にカウンターの右フックをあごに浴び「人生で初めて」足もとがぐらつくピンチを迎えた。1発への恐怖が芽生えてもおかしくなかったが、打ち合う覚悟で勝負に行った。ぎりぎりの判定勝ちでは何も生まれない。米国で自身をアピールするという強い思いが、体を突き動かした。

 昨年12月の世界戦での混乱騒動で、所属ジムの会長らが事実上の資格剥奪処分を受けた。国内で試合が出来なくなり、戦いの地を海外に求めた。前戦から7カ月、ようやく決まったのが憧れのラスベガスだった。「亀田」の名前が通用しないリング。自身の未来をかけた1回のチャンスで結果を出した。「自分の仕事はやった。あとは(現地の)プロモーターに認めてもらえたらうれしい。またここに戻って来たい」と、米国を主戦場にしたい思いを強調した。

 今回の試合は全9試合の中で5番目。観客もまばらな時間帯に行われ、テレビ放送のPPV(ペイ・パー・ビュー)のカードからも外れた。だが、関係者の評価は高まり、今後も本場で試合が組まれる可能性を自力で広げた。次戦について和毅は「強いやつとビッグマッチをやっていきたい。相手は誰でもいい。自分がバンタムで一番強い」ときっぱり。国内で窮地に立たされている亀田家。三男から、久しぶりに一家持ち前の強気な言葉が飛び出した。【奥山将志】

 ◆日本人王者の海外防衛

 初めて成功したのは、85年12月に韓国で勝利した渡辺二郎。その後、09年5月に西岡利晃がメキシコでTKOで達成。西岡は11年10月に米ラスベガスでも防衛に成功した。13年8月には三浦隆司がメキシコで判定勝ち。13年11月には亀田興毅が韓国で史上4人目の達成者となった。和毅は5人目で、本場ラスベガスでの達成は西岡に次いで2人目となった。