関脇照ノ富士(23=伊勢ケ浜)が横綱白鵬との優勝争いを制し、初の賜杯を手にした。碧山を寄り切りで下して12勝目。3敗で並んでいた白鵬が横綱日馬富士に敗れ、101人目の優勝力士となった。年6場所制となった1958年(昭33)以降は貴花田、朝青龍に続き歴代3位となる初土俵から25場所のスピード記録。1度は消えた大関昇進も確実にし、荒れる夏場所の主役をかっさらった。

 照ノ富士の初優勝は、伊勢ケ浜部屋の力が結実した瞬間だった。結びの一番で、横綱日馬富士(31)が横綱白鵬(30)を破ってアシスト。日頃、助言を与えたり、稽古をつけている安美錦(36)宝富士(28)ら兄弟子の奮闘と応援も、大きな力を与えた。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は表彰式で目を潤ませながら、初めて弟子に優勝旗を手渡した。部屋のみんなで勝ち取った優勝だった。

 24秒8の死闘。相撲を取っている間は無心だった。だが、勝った瞬間、日馬富士の脳裏には、あの屈託のない笑顔が広がっていた。「照ノ富士のことが、一番先に頭に浮かびました。正直、ホッとしました」。

 弟弟子のために-。春場所で果たせなかった悔しさを力に変えた。支度部屋に戻ると、安美錦と抱き合った。伊勢ケ浜親方の第一声は「日馬富士がよく頑張った。それに尽きる」。安美錦も「横綱がいい仕事をしてくれた。体調が悪いのを知っているから。ガナ(照ノ富士)が一番頑張ったけど、部屋のみんなで勝ち取ったかな。オレは何もしてないけどね」と喜んだ。

 照ノ富士は13年の夏場所前に部屋に移籍してきた当初、たった3番で酸欠になった。「腰が高いのが弱点。(170センチない部屋の幕下以下の)照強や富栄にも負けている。前に圧力をかけないし、基本がなっていなかった」(親方)。

 それを部屋の関取衆らが押し上げた。押し相撲の誉富士、四つ相撲の宝富士と交互に稽古。業師の安美錦は技術指導の先生だった。そして日馬富士が心を鍛える。親方は「日馬が胸を出せば、なかなか押せない。でも、泣いてもぶつかっていく。気持ちが強い」。安美錦は「巡業で稽古し、部屋に帰っても毎日かわいがられるけど、苦しくても休まなかった。今、一番稽古している力士じゃないかな。結果が出て当たり前」。

 表彰式。伊勢ケ浜親方は審判部長として、優勝旗を直接、照ノ富士に手渡した。弟子に渡すのは初めてだった。「おめでとう」と声を掛けた。その目は潤んでいた。「何か、ジーンときたね」。足りないところはまだ多いと指摘し「まわしの切り方、かいな(腕)の返し方、立ち合い…」と言葉は続く。とはいえ、この日ばかりは優しい師匠の顔。部屋の力を結集させて勝ち取った、照ノ富士の初優勝だった。【今村健人】

 ◆伊勢ケ浜部屋 現親方は9代目。92年初場所で引退後は旭富士親方だったが、93年4月に4代目安治川親方に名跡変更し、部屋を継承した。07年11月に伊勢ケ浜へ名跡変更し、同年1月で閉鎖していた名門部屋を再興した。13年4月に間垣、今年2月に朝日山部屋を吸収。これまで6人の関取が誕生した。所在地は東京都江東区毛利。