96年初場所で大関貴ノ浪(24=二子山)が横綱貴乃花(23=同)を優勝決定戦で下し、涙の初優勝を飾った。本割で2人とも勝ち14勝1敗、史上初の2場所連続同部屋決戦となったが、土俵際で切り返しに行く貴乃花の左足に貴ノ浪が右足をからませ、かわず掛けで倒し、強引相撲の本領を発揮、1987年(昭62)の初土俵以来初めて優勝を勝ち取った。

▽本割取組

貴ノ浪 14勝1敗 (寄り切り 10秒9) 魁皇 10勝5敗

▽優勝決定戦

貴ノ浪 (かわず掛け 23秒3) 貴乃花

 捨て身の上手投げを切り返されそうになった瞬間だった。俵に左足のかかった貴ノ浪が、ひっくり返そうとする貴乃花の左足へとっさに右足をからませた。逆転のかわず掛けだ。貴乃花が背中から先に土俵へ倒れていく。大関昇進を決めた2年前の初場所で横綱曙(26=東関)を下した伝家の宝刀を、最後の最後に抜いた。「かわず掛けは頭になかった」。横綱の予知を超えた技だった。

 「やれるものは何でもやろうと思った。上手投げに行ったら足がからんで、あとは捨て身でやるしかなかった。体が一緒に落ちていく感じで、礼をして終わるまで(どっちが勝ったか)分からなかった」。左ヒザから流れる血にも気づかない。2場所連続の同部屋決戦にふさわしい熱戦に、“日本一”の歓声が飛ぶ。勝ち名乗りを受けて支度部屋に戻ろうとする花道で、こみあげるものを右腕でぬぐった。支度部屋、土俵下での優勝インタビューでも目は真っ赤。小学5年の時に東北児童選手権を制してから、13年間見放されてきた優勝の味だった。

 右上手は取っていたものの左下手を許し、2度の外掛けを仕掛けられて防戦一方だった。しかし、どうしても負けられない。87年(昭62)春場所で初土俵を踏んでから1年後、三段目81枚目にまで出世した時に、二子山部屋へ入門してきたのが中学を卒業したばかりの貴乃花だった。最初のけいこ相手を務めた。しかし、土俵にはわされたのは自分の方だった。兄弟子のプライドも、力士としての自信もボロボロにされた。

 出世争いでも苦い思いを味わわされた。幕下33枚目だった89年(平元)名古屋場所で追い抜かれ、それ以降は後ろ姿ばかり見てきた。91年春場所の十両昇進、同年九州場所の新入幕、94年の大関昇進とも1年遅れ。けいこ場に飾ってある貴乃花の優勝額は、最高の発奮材料だった。「情けない気持ちはありました。横綱とはやりたくなかった。目標とする人ですから。今場所は、全勝で先を走っていてくれたし感謝したい」。賜杯を持つ手が震えていた。

 その思いは、土俵下の佐渡ケ嶽審判部長(55=元横綱琴桜)にも伝わっていた。「二人とも負けたくないという気持ちが伝わってきた。ライバル意識が強かったんだろう」。

94年初場所後に大関へ昇進した時は、すぐに横綱になるのではと言われた大器。しかし肝臓などを悪くし、体にだるさが残る苦しい日々が続いた。相撲も懐の深さを生かして、相手を抱え込む強引さだけが目立った。しかし昨年6月から禁酒を始め、体調は元気なころに戻っていた。

 相撲も、強引さこそ変わらないが、攻める姿勢が前面に出るようになっていた。「体が悪い時が続いて、かえって良かった。それが今につながったんでしょう」。敗れた貴乃花も、目の当たりにしてきた貴ノ浪の苦労と精進をほめたたえた。切瑳琢磨(せっさたくま)し土俵で死力を尽くしたライバルは、一つのきずなで結ばれていた。 【飯田玄】

 ◆かわず掛け 内掛けに足をからめ、後方に体を反り倒す。相手は後頭部、背中から落ちる。「曽我兄弟」のあだ討ちの物語で、河津三郎という武士が相手にこの手をかけたことに由来している。先代の安治川親方(元関脇陸奥嵐)が得意としていた。柔道では禁じ手。プロレスのジャイアント馬場の得意技。