西前頭11枚目の旭天鵬(40=友綱)が現役を引退する。東前頭筆頭の栃ノ心(27)に寄り切られ3勝12敗。来場所の十両転落が決定的になり、現役生活に幕を下ろすことを決断した。27日にも発表される。

 涙が、あふれた。タオルで顔を覆っても、止まらない。ねぎらいと惜しむ拍手を浴びて、帰る花道がにじんで見えた。「泣いちゃったよ。あの応援はすごかったな」。92年春場所で初土俵を踏んでから23年余り。角界のレジェンドと呼ばれるようになった旭天鵬に、万感の思いがこみ上げた。

 以前から、幕内に残留できなければ現役を退く考えだった。今場所は、初日から4連敗。力強い寄りや、豪快な投げが影を潜めた。最後の一番も、右四つがっぷりから、前に出られない。逆につられて、土俵を割った。「まわしを取ったら、走ろうと思ったんだけどね」。思い通り動かない体に、去る時を悟った。

 モンゴル人力士のパイオニアだった。92年2月に元小結旭鷲山らとともに来日。異国の特殊な相撲社会になじめず部屋を脱走したこともあったが、忍耐強く稽古を重ね、番付を駆け上がった。12年夏場所では昭和以降最年長の37歳8カ月で優勝も果たした。

 勝敗に関係なく、にこやかに人と接した。負けが続いた今場所も、朝稽古後は毎日30分近くサインや写真撮影に応じた。次の目標に、秋場所で到達するはずだった史上2人目の「幕内在位100場所」を掲げていたが、それはかなわない。「99場所、オレらしいと言えばオレらしいか」。涙は止まり、いつもの笑みが浮かんだ。【木村有三】

 ◆力士の引退 スポーツの世界では事前に引退が予告されることが多く、プロ野球などでもシーズン終盤に事実上の「引退試合」になる公式戦もある。大相撲の場合、予告することは相手に対し礼を失するという観点から、本場所中の表明は以後、土俵に立たないことを意味する。力士が引退する際は、日本相撲協会に引退届を提出する。通常、年寄として協会に残れる資格のある力士は、引退表明と同時に、取得のめどが立ち襲名する年寄名が公表される。千秋楽の土俵を終えても2人が引退表明できないのは、公益財団法人化によって必要となった年寄資格審査委員会での審査、理事会での承認などの事務手続きが完了していない可能性が考えられる。

 ◆旭天鵬と若の里の年寄名跡 年寄名跡は公益財団法人となった日本相撲協会が一括で管理する。公益化以前に、旭天鵬は前の師匠だった元大関旭国の太田武雄氏から年寄名跡「大島」を譲り受ける約束があり、すでに襲名を日本相撲協会に申請した。若の里は年寄名跡「西岩」を所有している。