大相撲の第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務める北の湖敏満氏(本名・小畑敏満)が九州場所13日目の20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で急逝した。62歳だった。

<北の湖アラカルト>

 ◆誕生 1953年(昭28)5月16日生まれ。北海道有珠郡壮瞥町生まれ。農業を営む小畑家で8人きょうだいの四男(7人目)として誕生。元横綱2代目若乃花ら同期の華やかな顔ぶれから「花のニッパチ組」と呼ばれた。

 ◆柔道少年 中学1年で173センチ、100キロ。柔道初段で高校生に勝って地区大会で優勝も。

 ◆入門 「北海道に怪童あり」のうわさが角界関係者に広まり、数部屋から勧誘される。手編みの靴下をプレゼントされたことが縁で三保ケ関部屋へ。当時は認められていた中学生力士として67年初場所で初土俵を踏む。師匠の長男であり後に大関になる増位山が同期。しこ名の北の湖は、故郷にある洞爺湖にちなんで師匠が命名。改名は1度もなかった。

 ◆スピード昇進 69年春場所で幕下昇進(15歳9カ月)、71年夏場所新十両昇進(17歳11カ月)、72年初場所新入幕(18歳7カ月)など。

 ◆横綱 74年名古屋場所後に21歳2カ月で横綱に昇進。いまだに破られていない最年少記録。

 ◆輪湖 ライバルの横綱輪島との熱戦はファンの声援を二分。「輪湖(りんこ)」時代と呼ばれた。

 ◆強すぎる 大関貴ノ花ら人気力士が多い中、あまりに強すぎることから憎まれ役に。子供が好きだったものを並べた流行語「巨人大鵬卵焼き」を、嫌いなものとしてもじった「江川ピーマン北の湖」と、やゆされたこともあった。

 ◆優勝 74年初場所の初優勝から、最後となった84年夏場所まで、歴代5位の24回の優勝。

 ◆得意 関脇までは突き、押し相撲も多かったが、大関昇進以降は四つ相撲に。左四つ、右上手を引いての投げ、どとうの寄り、大きな腹に乗せたつり。

 ◆故障 82年以降、足や腰の故障で成績が落ち、休場することもしばしば。84年名古屋場所が最後の皆勤場所(11勝4敗)。

 ◆引退 蔵前から両国に新国技館が完成し、こけら落としとなった85年初場所。ケガは完治しなかったが、当時の春日野理事長から「晴れの舞台に横綱が休場することはできない。潔く散る覚悟で出よ」の言葉を受け強行出場。初日から2連敗して引退表明した。31歳。現役最後の白星、黒星とも多賀竜(現鏡山親方)。

 ◆一代年寄 功績が認められ大鵬に続く一代年寄「北の湖」を襲名。北の湖部屋を創設した。大鵬部屋(現大嶽部屋)と同じ江東区清澄にあり、両部屋の距離は約50メートルの近さ。面する通りは「横綱通り」と親しみ呼ばれている。

 ◆師匠 6人の関取を輩出(部屋としては移籍などを含め14人)。

 ◆協会トップ 88年に監事(審判部副部長など歴任)、96年に理事昇格。98年には協会ナンバー2といわれる事業部長に就任。02年2月、48歳で第9代の理事長に就任。戦後生まれとして初めて協会トップの座についた。

 ◆多難 07年に時津風部屋の力士が死亡する暴行死事件が起きる。また横綱朝青龍の不祥事も。08年9月には弟子の白露山が関与した大麻問題も発生。これで辞任に追い込まれる。

 ◆復帰 12年1月の理事選に再び立候補し、理事長に当選。1度、辞任した理事長が復帰を果たす初のケースとなった。

 ◆豪華そろい踏み 13年夏場所後の6月9日、両国国技館で還暦土俵入り。太刀持ちは九重親方(元横綱千代の富士)、露払いは貴乃花親方(元横綱)と、優勝回数20回以上の大横綱3人がそろい踏み。この土俵入りの際に直腸がんを患っていることが明らかになった。

 ◆再び苦難 野球賭博問題、八百長問題が表面化し11年春場所が中止。理事長就任から半年後の12年8月に内視鏡手術を受ける。治療に専念することなく、職務にあたり、13年以降も検査入院、大腸ポリープの除去手術など続いた。